maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

一区切り

2020年4月7日から、ほぼ毎日続けてきたこのブログも、今日で一区切りにしたいと思います。 今まで読んで頂いて、ありがとうございました! 2020年2月20日という日は、僕にとり、本当に特別な日でした。 自分の人生の証として、なんとなく、ポツ…

長嶋監督

長嶋茂雄さんは、黄金の人生と、いぶし銀の人生を 両方生きてきました。 野球の選手として、大学時代も、プロになってからも、 これ以上ないほど大活躍し、数々の栄誉に輝きました。 野球という「夢」を達成し、まさに、「黄金」の人生です。 しかし、引退し…

金か銀か

皆さんは、金と銀とどちらが好きですか? 2020年8月13日、テレビで、フランスのルイ14世とヴェルサイユ宮殿のストーリーをやっていましたが、宮殿内部の装飾が「金キラ」過ぎて、とても私にはダメです。ロシアのクレムリン宮殿もすごいですね。金キ…

「Jリーグ」生みの親

プロ・サッカーの「Jリーグ」を創設した、川淵三郎という人がいますね。 1993年にJリーグができる前の日本のサッカーといえば、土のグラウンドで、実業団リーグという、会社のサッカー部同士の試合でした。観客席も小さく、観客は、一握りでした。 しか…

中村のおじさん

アフガニスタンで「中村のおじさん」と呼ばれていたのは、中村哲さんです。 中村さんは、九州大学を卒業した医師で、30年間、パキスタンでハンセン病患者の治療を行い、またアフガニスタンで農地開拓に力を注ぎました。 しかし残念ながら、2019年12…

旭山動物園

最大のピンチを、最大のチャンスに変えた人として、小菅正夫氏(1948〜)がいます。 小菅さんは、廃業寸前だった北海道、旭川市営の、「旭山動物園」を復活させた人です。 小菅さんが、北海道大学を卒業し、獣医師として、旭山動物園に就職したのは1973年…

李登輝

2020年9月19日、台湾の元総統であった李登輝氏の葬儀が、台湾で行われていました。日本からは、森 喜朗元総理が参列しています。 「公」に生き、台湾民主化の「父」と尊敬される李登輝氏は、残念ながら、去る2020年7月30日に97歳で永眠しまし…

渋沢栄一

新しい1万円札の顔となる「渋沢栄一」が話題になっていますね。 渋沢といえば、明治時代に、500もの企業や組織をつくったことで有名です。 東京電力、東京ガス、東急電鉄、帝国ホテル、東京慈恵会、聖路加病院、理化学研究所、一橋大学、その他、製鉄会…

岩崎弥太郎

岩崎彌太郎は現在の三菱グループのルーツ、三菱財閥の創始者ですね。 彌太郎は、坂本龍馬と同じく、土佐藩の最下級武士で、赤貧の家に生まれました。 若い頃、「お上」に反抗し、投獄されましたが、このとき、「お上」に反抗するよりも、国の利益のために尽…

ゴッホ

フィンセント・ファン・ゴッホといえば、「ひまわり」が有名ですね。 ゴッホは7枚の「ひまわり」を描き、その5枚目が、新宿の住友ビルにあります。 住友生命が、53億円で買ったそうです。 ゴッホが今生きていれば、億万長者ですね。しかし、生きている間…

山中伸弥

「ノーベル生理・医学賞」を受賞した山中伸弥教授といえば、テレビにもよく出演するので、名前や顔は広く知られていると思います。 山中さんは、大きな夢に向かって走っているように見えます。 京都大学iPS細胞研究所の所長として、いわゆる「万能細胞」の研…

大阿闍梨

酒井雄哉(さかい ゆうさい)( 1926〜2013)さんは、39歳で比叡山・延暦寺の僧になり、47歳で「千日回峰行」に挑み、2回達成しました。「満行」2回は千年の歴史で3人目です。 1回が7年の荒行で、これを2回、合計14年間にわたり、気が遠くなるよ…

大坂なおみ

この稿を執筆中の2020年9月12日、大坂なおみ選手が、全米オープン・テニス大会で優勝しました。 この大会にのぞみ、なおみ選手は7種類のマスクをつけると宣言しました。それぞれのマスクには、白い文字で、これまでに人種差別の犠牲になったと思われ…

マザー・テレサ

マザー・テレサは「聖人」としてではなく、「人」として親しみを感じます。彼女は、ギリシャの北、「北マケドニア」出身で、カトリックの信者でした。 彼女は幼少の頃から、いつかインドに行き、修道女になるという希望をもっていました。 21歳のとき、イ…

沢田美喜

太平洋戦争が終わって3年がたった1948年、神奈川県の大磯に、「エリザベス・サンダース・ホーム」という孤児院を創設したのが、沢田美喜さんです。ホームは黒人兵と日本人女性の間に生まれた混血児のための施設です。小学校も、中学校もつくりました。 …

横浜・高島町

横浜に高島町という町があります。この町は、「高島嘉右衛門」(たかしま かえもん)という人にちなんで命名されたんですね。 汽笛一声、「新橋」を出発した列車が蒸気機関車に引かれて、「横浜」まで走ったのは明治5年、1872年ですが、この日本最初の鉄…

八田與一

八田與一(はった よいち)は、台湾の農地開拓のために、全身全霊を捧げましたね。 日本は、日清戦争に勝ち、1895年から50年間、太平洋戦争が終わるまで、台湾を占領しました。日本は台湾を単なる植民地として、米や砂糖の産地にするのではなく、行政…

伊能忠敬

江戸時代に伊能忠敬が作製した日本地図は、国宝となっています。非常に精密な地図で、当時の日本海軍やイギリス海軍から、高く評価されました。 忠敬は、50歳で隠居するまでは、有能な商人として働き、隠居以後は、72歳まで日本地図の作製に身を投じまし…

鑑真和尚

「諦めなかった」人として、鑑真和尚 (がんじんおしょう) がいますね。 鑑真は中国の高僧で、日本に招かれていましたが、渡日に6回失敗します。しかし諦めず、7回目にようやく来日に成功します。11年かかりました。その間に両眼を失明します。 遣唐使の…

日野原重明

聖路加病院の日野原重明先生は、近代日本史上、もっとも偉大な人格者の1人であると言えるでしょうね。 内科医として、71年間、築地の聖路加国際病院で働き、著作は、共著も含めると340冊になります。40の役職をもち、受勲は文化勲章ほか多数、生涯現…

小澤征爾

日本の音楽界の巨星といえば、やはり小澤征爾の名が出ますね。 小澤さんは、信念と自信をもって、24歳でフランスに渡りました。小澤さんを手放したくない恩師、斉藤秀雄の猛反対を押し切り、貨物船でマルセイユに上陸しました。そして1人スクーターでトコ…

勝海舟

坂本龍馬、西郷隆盛とくれば、私の大好きな勝海舟のことを書かないわけにはいきませんね。 この人も、百パーセント、天下のために働いた人です。 生涯、自分に正直に、わがままに生きました。それに、毒舌だったので、嫌われ者でしたが、幕末における、幕府…

西郷隆盛

西郷隆盛も、人気がありますね。 薩摩藩(鹿児島県)出身、幕末の英雄、明治維新の立役者の一人です。 西郷は江戸城に攻め込もうとしますが、勝海舟に説得され、無血開城に合意します。 ここまでは、日の出の勢いでしたが、その後、人生が微妙に変わります。…

坂本龍馬

日本の歴史の中で、坂本龍馬は、「公」のために生きた人として特筆されますね。 近代日本の誕生に命を捧げ、出世やカネには目もくれませんでした。 文字通り「命がけ」で、志半ばにして刺客に斬られ、若くしてこの世を去りました。 お龍という奥さんはいまし…

幸せはきます

「幸せ」とはなんでしょうね。 「幸せ」の瞬間とは、「自分」になった瞬間だと思います。 「自分」として生きている人は幸せです。 ゴッホ(1853~1890)は、若い頃、画商で働いたり、聖職者を志しますが、 自分は「絵を描く」人だとわかり、絵を描き始めました…

その瞬間

スーパー・ボランティアの尾畠春夫さんは、 四国八十八カ所のお遍路の途中、沿道の住民から「お接待」を受け、 その瞬間、「ボランティアで生きよう」と決めました。 遠山正瑛(せいえい)さんは、28歳で中国・内モンゴルに行き、農地が砂漠に変わっていく…

やってみなけりゃ

何ごとも、やってみなけりゃ、わかりませんね。 結果を知っているのは、神様だけですから。 商品は、売ってみなけりゃ、わからないのです。 これは売れるだろうと思ってつくったモノが ぜんぜん売れなかったり、 あまり期待していなかったモノがヒットしたり…

このままでは

「このままでは終わりたくない」。「・・・終わらないつもり」。 それでいいです。私もそうでした。 自分のこれまでの人生、全然、大したことない。 しかし、何かわからないけれど、 自分にはもっと何かできる気がする。 有名なアメリカの黒人歌手、ナット・…

止まらない

今から話すことは、スポーツの経験のある方には、良くわかると思います。 動作が始まったら「止まらない」ということです。 野球のバッティング、ゴルフ・スィング、サッカーやバスケットボールのシュート、 バレーボールでスパイクするとき、などは、動作が…

謙虚

みんなに、「あの人のためなら」と慕われる人は、幸せですね。 私は、そういう人に出会いました。 「あの人の下で、働いてみたい」、「あの人のためなら、なんでもしよう」と思いました。 その人は、「稲山嘉寛」(いなやま よしひろ)(1904〜1987)さんで…