maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

日野原重明

聖路加病院の日野原重明先生は、近代日本史上、もっとも偉大な人格者の1人であると言えるでしょうね。

 

内科医として、71年間、築地の聖路加国際病院で働き、著作は、共著も含めると340冊になります。40の役職をもち、受勲は文化勲章ほか多数、生涯現役を貫き、105歳で永眠しました。

 

日野原先生の人生は、まさに「公」、「人のため」、でした。

 

国の医療行政に欠陥があれば、政府と向き合い、改善に貢献しました。

 

1992年〜96年、聖路加病院の院長を勤めたときは、自身を「無給」としました。

 

90歳を過ぎても、緩和ケア病棟の末期癌の患者を見舞い、励まして回りました。患者さんたちは、日野原先生に励まされ、「生きよう」と思ったそうです。

 

1995年の「地下鉄サリン事件」のときは、聖路加病院の廊下や礼拝堂に640人の患者を収容し、治療にあたりました。災害に備え、日野原先生が廊下などに数千本の酸素パイプを設置しておいたのが、役に立ちました。先見の明が光ります。

 

人生は70歳から始まるという日野原先生のことばが忘れられません。

 

日野原先生は、子供たちと話すために全国の小学校を回りました。80歳を過ぎてから、テレビにも出演するようになりました。

 

音楽が好きで、作曲し、コンサート出演し、また音楽療法を研究しました。

 

ダイアリーは、5年先まで予定で埋まっていました。睡眠時間は4〜5時間です。

 

講演も数多くしましたが、著書としては、2001年に出版した「生き方上手」が120万部売れ、世間のブームになりました。その後も「生き方上手」シリーズが出版され、数多くの読者を得たようです。

 

日野原先生は、100歳をすぎてもまだ「公」に生きました。公益のため、何でもしました。2017年、105歳のとき、自宅で、延命治療はせず、静かに永眠しました。