maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

旭山動物園

最大のピンチを、最大のチャンスに変えた人として、小菅正夫氏(1948〜)がいます。

 

小菅さんは、廃業寸前だった北海道、旭川市営の、「旭山動物園」を復活させた人です。

 

小菅さんが、北海道大学を卒業し、獣医師として、旭山動物園に就職したのは1973年。当時入園者は減り続け、経営不振のため、市では閉園を決めていました。

 

繁殖の研究者である小菅さんは、自分の研究を中断し、潰れそうな動物園を復活させると、腹を決めます。それが、ご本人曰く「覚悟の瞬間」でした。

 

来場者にアンケート調査したところ、「動かない」動物を見ても「つまらない」という結果だったので、小菅さんは「動物舎改造計画」をつくり、「行動展示」による動物園の復活を目指します。「動く」動物を見せよう、というのです。

 

ところが動物園にも、市役所にも、小菅さんに耳を傾ける人は誰もおらず、孤軍奮闘が始まります。小菅さんはあきらめずに、人生を賭けて頑張りました。

 

1996年、小菅さんが園長になったとき、入園者はわずか年間26万人でした。

 

1997年から、「行動展示」のための新しい施設をつくり始め、8年後の2005年度には8倍の206万人にまで増えました。さらに2007年度には、12倍の307万人となり、上野公園に次ぎ、日本で第2位になりました。

 

「行動展示」とは、たとえば、「水中トンネル」ではペンギンの遊泳を、「巨大プール」ではシロクマが豪快に飛び込むのを、ガラス越しに目の前で見られます。「こども牧場」ではうさぎや山羊、羊などに「触れる」ことができ、大人気となりました。(以上、ネット情報を参照しました)

 

誰からも相手にされず、孤立無援だった小菅さんが、頑張ることができたのは、見に来る人たちのため、旭川、北海道のために、面白い動物園をつくる、という「公」の目的と夢があったからです。

 

「覚悟の瞬間」何かの強い「力」が、小菅さんの背中を押しました。その「力」に押されて、小菅さんは、どん底の動物園を建て直し、発展させ、夢を達成しました。

 

小菅さんは今、講演活動をして、自分の経験を多くの人に話しています。