「Jリーグ」生みの親
プロ・サッカーの「Jリーグ」を創設した、川淵三郎という人がいますね。
1993年にJリーグができる前の日本のサッカーといえば、土のグラウンドで、実業団リーグという、会社のサッカー部同士の試合でした。観客席も小さく、観客は、一握りでした。
しかし、日本サッカーは強かったです。1964年の東京オリンピックで、銅メダルをとりました。
それでも、プロ野球のような「国民的」な人気スポーツとは、ほど遠い状態でした。
それを、ヨーロッパのような、人気スポーツにしたのが、川淵三郎氏です。
これだけですと、「プロ・サッカーの恩人」という評価のみですが、偉いのは、「Bリーグ」という、同氏には畑違いの、プロ・バスケットボール・リーグをも、つくったことです。これは2015年でした。
バスケットボール界では2つのリーグが対立し、泥沼の「ケンカ」状態でした。これを見かねた国際バスケットボール協会が、期限をきり、それまでに、1つのリーグに統一しなければ、日本を国際バスケットボール協会から除名すると警告したのです。
2つの対立するリーグを仲良くさせるのは、至難の業と思われ、誰も手を上げませんでした。これを見かねて立ち上がったのが、サッカーの川淵氏です。
(川淵氏についてはネット情報を参照しました)
そして、強い「リーダーシップ」を発揮し、見事に2つのリーグを統一、「Bリーグ」を発足させました。その後のバスケットボール界の発展はめざましく、数人の日本人選手がアメリカのプロ・リーグでプレイするまでになりました。
川淵氏は、地位や名声よりも、日本のサッカーやバスケットボールを何とかしなければ、という「公」の意識が強かったと思います。
そうでなければ、国民的人気のなかったサッカーやバスケットボールをプロによる人気スポーツにするという離れ業を達成できたはずがありません。
川淵氏は、サッカーやバスケの発展を眺めながら、幸せな人生を送っていると思います。