maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

横浜・高島町

横浜に高島町という町があります。この町は、「高島嘉右衛門」(たかしま かえもん)という人にちなんで命名されたんですね。

 

汽笛一声、「新橋」を出発した列車が蒸気機関車に引かれて、「横浜」まで走ったのは明治5年、1872年ですが、この日本最初の鉄道の実現に貢献したのが、高島嘉右衛門です。

 

嘉右衛門は、東京に生まれ、実家は材木商の他に、土木建築業もしており、横浜で、外国公館や外国人用の和洋折衷の旅館を建築していました。

 

1870年、嘉右衛門は、明治政府の重鎮、伊藤博文大隈重信に、新橋―横浜間の鉄道建設の免許を申請します。そして、2年後に開通しました。驚異的なスピードです。

 

この鉄道の建設では、線路の距離を短くするため、かなりの部分、沿岸の海を埋め立てました。その埋め立て工事を請け負ったのが、嘉右衛門です。横浜港の一部も埋め立てられ、その場所が現在「高島町」と呼ばれています。

 

嘉右衛門は鉄道事業の他にも、横浜にガス会社を設立し、街に初めてガス灯をともすなど、公共的な事業も行いました。(以上、ネット情報を参照しました)

 

事業をするうちに、壮大な「公」の夢をもち、実現した嘉右衛門は幸せだったと思います。その証拠に、亡くなる3ヶ月前、嘉右衛門は以下のことばを残しました。

 

「日本全土を鉄道の網でおおいつくすということは、明治二年(注:1869年)に私が初めて計画したことでした。この夢が実現し、東京に中央停車場(注:東京駅)が完成したら、その日のうちに死んでも悔いはないと、その時、思いつめたものです。幸いその年にイギリスから帰国した井上勝君が一生を賭けてこのことにあたってくれたので、私の夢も実現しましたが、・・・東京停車場の落成祝いにはとうてい出席はできますまい。まあ、この家からも汽車の通行は眼下に見おろせます。私が若い頃に埋めたてた土地の上に建設された線路を走って。高島町の駅に東京駅発の蒸気車が通るのは、あの世から見物しましょうか。」

(COQTEZ BLOGより引用)

 

嘉右衛門は、東京駅を中心に、日本全国に鉄道を敷くという大きな夢をもち、その第1歩を踏み出しましたが、惜しくも、東京駅が完成する2ヶ月前に、横浜の高島台で永眠します。1914年10月17日でした。