maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

遠山正瑛氏のキーワード

「夢をもつ」

28歳で中国・内モンゴルに行き、農地が砂漠化するのを見た遠山氏は、

「この砂漠を緑の農地に戻す」という夢をもちます。

そして、生涯その夢を追い続け、実現しました。

 

「あきらめない」

遠山氏ほど、数多くの悲劇、困難に見舞われた人も珍しいと思います。

砂漠に苗木を植えたら、日本人スパイと疑われ、苗木を全滅させられ、

あるいは、植えた「葛」(くず)をすべて山羊に食べられ、

せっかく植えたポプラ100万本の苗木が、すべて洪水で流され、

それでもあきらめませんでした。

 

「公」

遠山氏は、砂漠の緑化事業を、自分の利益のためにしたのではありません。

農地を失った内モンゴルの人々のために、

「私」ではなく「公」の目的のために、働きました。

 

「与える」

ボランティアで、半生をかけ、自分のすべてを内モンゴルの人々に与えました。

与えることは、最高の幸せです。

 

「信念」

砂漠にも必ず水脈がある。

その水を利用して緑化すれば、かならず農地になる、

という「信念」を、一生貫きました。

 

「耐える」

内モンゴルの人々を助けるという、「公」の夢があったので、

いかなる苦労にも耐えることができました。

あきらめない人

絶対にあきらめない日本人がいました。

 

その人は28歳のとき、中国に農業調査のため留学しますが、日中戦争のため帰国します。

このとき、内モンゴルで、農地が次々に砂漠化し、多数の農民が餓死、あるいは農地を捨て去るのをその眼で見たようです。

 

その後、京都大学を卒業したあと、56歳で、農学博士になります。博士論文は、「砂丘地に適する作物について」でした。まさに、「砂漠から農地へ」が生涯のテーマになりました。

 

その人は、「遠山正瑛」氏(1906〜2004)です。テレビのドキュメンタリー番組もつくられました。

 

66歳で定年退職した遠山氏は、早速自費で中国に行きます。内モンゴルの砂漠を農地に変えるという夢をもち、たった1人でした。

 

まず、農業には水が必要です。遠山氏は砂漠の下にも水脈はあることを知っていました。そして炎天下、40℃の砂漠を、毎日何十kmも歩き回り、ついに水脈を見つけます。

 

しかしそれからが、日本と中国を往復しながらの、苦難と不運の連続でした。

 

当初、遠山氏は地元の人々から、日本人スパイと疑われ、苗木を植えても、すべて引き抜かれる始末でした。しかし、粘り強く住民を説得し、徐々に理解を得るようになります。

 

日本でお金をつくっては中国に行き、悪銭苦闘しながら、砂漠の「緑化」事業に取り組むうち、80歳を迎えます。

 

砂漠に適すると信じて植えた3千本の「葛」(くず)が、1晩で、放牧中の「山羊」に全部食べられてしまいます。葛をあきらめ、次に植えたポプラ百万本が、黄河の氾濫により、一夜にして、すべて流されてしまいます。

 

それでもあきらめずに、再び植えたポプラ百万本が、2万ヘクタールの「死の砂漠」を「緑の農地」に変えました。(以上、ネット情報を参照しました)

 

90歳のとき、現地に「恩人」として、銅像が建てられました。そして、2004年、97歳で永眠します。モンゴルの人々に「与える」夢を持ち、その夢が実現しました。苦労と同じだけの幸せに満たされた人生だったと思います。

尾畠さんのキーワード(2)

「ひらめき」

65歳になった尾畠さんは、計画通り、

魚屋をやめます。

そして、四国八十八カ所のお遍路に出ます。

途中、沿道の人々から「お接待」をされ、感動し、

その瞬間、「ひらめき」があり、自分のいく道を決めます。

 

そして、魚屋をたたみ、ボランティア人生を始めます。

「ひらめき」を得て、すぐ行動に移したことが

尾畠さんのすごいところです。

 

収入は、国民年金のみになり、激減しましたが、

尾畠さんは、災害にあった人たちのために

ボランティア活動をしています。

 

「背中を押される」

尾畠さんは、ボランティア人生に入ることを

頭で考えて決めたのではなく、

四国巡礼の途中で「ひらめき」があり、次の瞬間、

「強い力」に背中を押されるように、

行動していました。

尾畠さんは、自分に正直に従いました。

 

ある人が、尾畠さんは「お手本だ」とSNSに書いています。

尾畠さんのキーワードの中ですぐに真似できないのは、

「背中を押される」です。

これが幸せの瞬間なのですが、

いつ押されるか、わかりません。

私の場合は、77歳で押されました。

 

夢をもっていれば、

必ず背中を押されるときがくることは、

多くの実例が証明しています。

「尾畠さん」のキーワード

スーパー・ボランティア、尾畠春夫さんにはたくさんの

キーワードがあります。

 

「現実を受け入れる」

尾畠さんは、7人兄弟の4番目でした。

家が貧しいため、兄弟のうち、尾畠さん1人だけが、

小学校5年生のとき、農家に奉公に出されます。

同じ年に、母親が41歳で他界します。

 

何故自分だけが奉公に出るのかと、父親を恨みましたが、

気を取り直し、自分の境遇を、受け入れます。

そして、「頑張る」と決意します。

 

「目標を決める」

中学校を卒業した尾畠さんは、

別府の魚屋で働くことになりました。

 

そのとき、10年間修行して1人前になり、

自分の魚屋を開業すると、目標を決めます。

 

3年間は別府の魚屋で、

次の3年間を下関のふぐ屋で、

最後の4年間は、神戸の大きな魚屋で修行し、

計画通り、10年後に、魚屋を開業します。

 

「夢をもつ」

さらに、「50年間」働いたら、

あとは好きなことをする、と決め、

その通り、65歳で魚屋をやめます。

この楽しい「夢」があったので、

つらい修行に耐えることができたのだと思います。

スーパー・ボランティア(続)

尾畠さんは、貧しい家に育ち、中学卒業と同時に、姉の勧めにより、魚屋で働き始めました。

 

小学校5年のときに母親が亡くなり、母親がわりの姉が、「声の大きい春夫は魚屋に向いている」といって店に紹介したのです。

 

そのとき尾畠さんは、10年後に1人前の魚屋になり、自分の店を開業しようと決意します。

 

そして、大分県・別府の魚屋で3年間修行したあと、人の勧めで、ふぐ料理の修行をすることにし、山口県の下関にいきます。そして、3年後にふぐ調理師の免許をとります。それから、神戸に行き、4年間、大きな魚屋で働きながら、独立のための準備をします。

 

こうして、神戸での修行を終わり、中学卒業から10年がたちました。そしていよいよ、計画どおり、魚屋を開業し、成功します。

 

一方、「50年間」働いたあとは、何か自分の好きなことをしたい、という夢がありました。

 

そして、65歳になったとき、四国八十八カ所のお遍路にでかけます。途中、沿道に住む人々から「お接待」を受け、感動します。お接待とは、お遍路さんに食事や寝る場所を無料で提供することです。

 

尾畠さんがお礼しようとしますが、受け取りません。お接待は「恩に着せない、恩に着ない」ことだと言われます。

 

このボランティア精神に感動した尾畠さんは、65歳にして魚屋を閉め、ボランティア生活に入ります。

 

奥さんは5年前に「旅に出る」と言って家を出たまま帰ってきません。成人した息子と娘は独立し、孫が5人います。

 

魚屋をしながらでも、ボランティアはできる筈です。そうすれば奥さんとも幸せな生活ができるのに、尾畠さんはそうしませんでした。

 

なぜなのか、これから尾畠さんの幸せの「キーワード」を見ていくと、わかると思います。

努力は報われる

努力は必ず報われます。

2021年4月4日、水泳の池江璃花子選手は、東京オリンピック出場権を勝ち取りました。女子100メートル・バタフライで優勝したためです。

 

池江選手は、2年前に、急性白血病で倒れながら、奇跡的な速さで復活しました。当日は、日本中がこのニュースで持ちきりでした。

 

レース後に本人が「苦しくてもしんどくても努力は報われるんだなと思いました」と涙ながらに語りました。ぼくも、テレビニュースでそのシーンを見、目頭を熱くしました。

 

ところが、東スポWebによれば、陸上の藤光謙司という人が、池江選手の言葉に対して次のようにツイートしました。

 

(藤光氏)「本当にすごい!!すごく勇気をもらいますね。本当におめでとうございます」と祝福。その上で5日には(藤光氏)「努力は必ず報われる。スポーツの世界でもよく聞く言葉だ。そんなニュースを目にすると僕自身も勇気をもらったりする。しかし、勝者=報われるという考え方だと大半の人の努力が報われていないことになる。正しい努力とは一体何なのか」とアスリートならではの思いをつづった。

 

それに対して、池江選手は藤光氏の投稿をリツイートし(池江選手)「確かに深く考えさせられる言葉ですね......自分の過去では、努力してた矢先に『病気』が待ち受けてて、積み重ねてきた”努力”が全て無駄になった気がしました。(中略)

 

その上で(池江選手)「どんな人も、努力はしていると思います。ただその努力という定義も難しいな、と思います。本気で目指してきたことをたとえ達成できなかったとしても、その努力は必ず誰かが見てて、誰かが勇気をもらえるのではないでしょうか」と前向きな言葉をつづった。

 

以上が東スポが報じた水泳の池江選手と陸上の藤光氏のツイートです。

 

これはぼくが非常に関心をもっているテーマです。

 

目標や夢の達成と、「幸せ」との関係、というテーマです。

 

客観的な事実として、天才とは、99パーセントの努力、1パーセントの才能、が正しいと思います。

 

だから、たくさん努力した人が、高い目標や夢を達成します。

 

しかし問題は、努力して、目標を達成することが、幸せにつながるかどうかです。

 

たとえば、世間で大成功したと認められた人も、その後、転落して、不幸になった例はたくさんあります。

 

人生で大切なのは、幸せかどうかで、目標や夢を達成したかどうかではないと思います。

 

一部の種目を除いて、アスリート人生は短いです。オリンピックで金メダルを取っても、その後の長い人生をいかに幸せに生きていくかが重要です。

 

目標というのは「モノ」です。モノでは幸せになれません。オリンピックが終われば、ただの人です。すぐ忘れられます。

 

結論を言うと、幸せとは「与える」ことです。

 

池江選手や藤光氏の言葉にもあるように、自分が活躍することにより、人に「勇気」を「与える」ことに意味があるのです。ぼくは、勇気というより、「元気」という方が良いと思います。

 

日本のアスリートが世界で活躍する、それで多くの人に元気を与えます。

 

与えることにより、アスリートは幸せなのです。そして、現役を退いたら、次には、どうやって、何を人に与えるか、これができないと、不幸になります。

 

幸せなアスリートとは、生涯、人に何かを与え続ける人です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スーパー・ボランティア

スーパー・ボランティアといえば、「尾畠春夫」さんです。

 

山口県の山中で行方不明になった2歳の男の子を発見し、一躍有名になりました。

 

尾畠さんは、捜し始めて30分ほどで、男の子を発見しました。それまで、警察や地元の人たちが大勢で捜索しても見つからなかったのです。尾畠さんは山が好きで、山に登っては、ボランティアで登山道の整備をしています。

 

「山道で迷った人が、どこへ行くかわかる」とテレビで言っていました。尾畠さんは、遠慮なく物を言う、純粋な人です。「人生は恩返し」、これが尾畠さんの言葉です。

 

尾畠さんは現在、大分の自宅を拠点に、被災地に出かけては、家の片づけの他、泥や瓦礫の撤去などを手伝っています。

 

被災地には、自分の軽自動車で出かけ、クルマの中に寝泊まりします。食事は、自分で買います。地元には一切負担をかけない、物を貰わないというのが尾畠さんの主義です。

 

尾畠さんの現在の収入は国民年金のみで、1ヶ月5万5千円です。

 

税金や、NHKの受信料を払う月は、食費を削るそうです。先日、小学校の校庭でクローバーを食べていた尾畠さんに、誰かが、お好み焼きを差し入れると、尾畠さんは感謝の涙を流しながら食べたそうです。

 

携帯電話も、持っていません。

 

このような尾畠さんですが、幸せでしょうか。

 

私は、日本中で一番幸せな1人だと思います。

 

自分が選んだ道、自分の人生はこれだ、という生き方をして、本当に幸せな人だと思います。

 

奥さんは別のところに住んでいますが、尾畠さんは受け入れています。

 

私たちは、尾畠さんとそっくり同じ生き方はできなくても、良いお手本にできます。