マザー・テレサ
マザー・テレサは「聖人」としてではなく、「人」として親しみを感じます。彼女は、ギリシャの北、「北マケドニア」出身で、カトリックの信者でした。
彼女は幼少の頃から、いつかインドに行き、修道女になるという希望をもっていました。
21歳のとき、インドのダージリンにある修道院に入り、「テレサ」という修道名を授かります。そして36歳のとき、いよいよインドの貧しい人々を救うことを決意します。
2年後、38歳のとき、ローマ教皇の許可を得て、修道院の外に住み始めます。まず、カルカッタのスラム街の路上で、ホームレスの子どもたちに無料で勉強を教え始めます。
40歳のとき、「神の愛の修道者会」をつくります。大勢の修道女たちが、テレサのもとに集まり、テレサは、「マザー」と呼ばれるようになります。
テレサは廃墟となったヒンズー教の寺院を借り、ホスピス「死を待つ人々の家」を始めます。
路上で、体の半分が土の中に埋まり、死を待つばかりの人を助け出し、施設に運び、全身を洗い、息を引きとるまでの数日間、清潔なベッドに寝かせ、優しく看護するのです。
彼女が助けようとしたのは、カースト制度の最下級に属する人々です。上の階級の人々の排泄物を、素手でさわらなければならない人々です。身寄りもなく、世の中から必要とされない人々は、最後の数日間、人間として尊厳ある扱いを受け、感謝と幸せな気持ちで永眠することができました。
マザー・テレサはお金持ちを訪ねて回り、寄付を集め、建物を建て、ベッドを置き、食糧を用意しました。苦労は大変なものだったと思います。(以上、ネット情報を参照しました)
彼女になぜこのような大きな奉仕ができたのでしょうか。
それは、彼女の「目的」と「夢」が、「公」だったからです。「これがあなたの仕事です」と強い力に背中を押され、困難な仕事に次々と挑戦、楽しみといえば、内緒でチョコレートを食べるぐらいでした。服装は、シンプルな、白地に青い線の尼僧衣に、サンダルでした。
テレサはホスピスや児童養護施設を次々とつくり、彼女の目的と夢は達成されていきました。
1997年、87歳で彼女は静かに息を引きとります。幸せな人生だったと思います。