maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

謙虚

みんなに、「あの人のためなら」と慕われる人は、幸せですね。

私は、そういう人に出会いました。

 

「あの人の下で、働いてみたい」、「あの人のためなら、なんでもしよう」と思いました。

 

その人は、「稲山嘉寛」(いなやま よしひろ)(1904〜1987)さんです。

稲山さんは、小柄だったけれど、すごくスケールの大きい人でした。

日本の経済界・産業界を率いるリーダーでした。

 

巨大な「八幡製鉄」の社長として、「富士製鉄」との合併を成功させ、「新日本製鉄」が誕生。

そのトップとなり、さらに「経団連」の会長を務めました。

 

そういう偉い人が、ものすごく「謙虚」で、しかも「与える」人だったのです。

 

初めてお目にかかった私は、この人のためだったら、何でもしよう、と思いました。

 

それは、1975年頃のことでした。場所は、オーストラリア第2の都市、メルボルン。私は、若手の商社マンとしてメルボルンで働いていました。そのとき、東京から、稲山さんが率いる数名のグループが、現地での大きなセレモニーに列席するために、来られました。

 

稲山さんは、我々若手商社マンにも、極めて丁寧に、謙虚に接しました。

同行の他の会社の社長さんたちとは対照的でした。

 

中華料理屋での昼食のとき、メイン・テーブルの稲山さんは、ボーイを呼び、部屋の隅のテーブルで小さくなって食べている私たち若手のために、ビールを追加注文していました。自分をチヤホヤする、同席の取り巻きたちには目もくれず、若手に気を配る、そういう人を目の前にして、「この人の下で働いてみたい」と思いました。

 

稲山さんは、大企業のトップとして、日本経済のリーダーとして、苦労も多かったと思いますが、社員をはじめ、大勢の人から、きっと「あなたのためなら、何でもします」と慕われ、幸せだったと思います。「謙虚」と「与える」は幸せのキーワードです。

 

一方、稲山さんには、楽しみがありました。メルボルン滞在2泊とも、徹夜で大好きな「麻雀」をしていました。それで、麻雀仲間の取り巻きを連れてきていたのです。帰りの空港で、「飛行機で眠るから、大丈夫です」と言っておられました。