maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

中村のおじさん

アフガニスタンで「中村のおじさん」と呼ばれていたのは、中村哲さんです。

 

中村さんは、九州大学を卒業した医師で、30年間、パキスタンハンセン病患者の治療を行い、またアフガニスタンで農地開拓に力を注ぎました。

 

しかし残念ながら、2019年12月、アフガニスタンの現地を車で移動中、武装勢力により射殺され,73歳で人生を閉じました。場所は、中村さんが活動していたジャララバードです。治安が悪く、車に同乗していた4人の護衛全員も射殺されました。

 

中村さんの葬儀は日本で行われ、安部首相はじめ、各大臣、各政党の党首も参列し、アフガニスタンの「宝」、日本の「宝」の死を悼みました。

 

棺が、アフガニスタンの国旗に包まれたことをみても、中村さんがいかに偉大な存在だったかがわかります。

 

中村さんは、「ペシャワール会」というNGOパキスタン現地代表でしたが、給料はありません。定期的に福岡に帰り、医療活動を行うことによる収入を家族の生活費に充てました。

 

なぜ、中村さんは、無収入で、自分のすべてを投げ出し、アフガニスタンのために働いたのか。それは、人の役に立つことがたまらなくうれしかったからです。それで幸せでした。

 

2000年5月、アフガニスタンは大干ばつに見舞われます。作物が全滅し、食糧がありません。潅漑していないので、雨が降らないと、作物ができないのです。

 

中村さんは、アフガニスタンの人たちの健康問題は、食糧不足と栄養失調にあると考え、「100の診療所より1本の用水路を!」と提唱し、2003年から、用水路の建設に着手しました。自らも、シャベルを持ち、建機を運転して工事に加わりました。荒れ地に井戸を掘り、農地に変える事業に専念しました。これで65万人の住民のための食糧が得られました。

(以上、ネット情報を参照しました)

 

砂漠が広大な農地に変わったのを眺め、「中村のおじさん」は幸せだったと思います。

 

中村のおじさんは、アフガニスタンでは、神様のように尊敬されました。日本の誇りです。まだまだやり残したことがあると思いますが、幸せな人生だったと思います。