maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

仕掛け人

太平洋戦争の米側の仕掛け人は、国務次官補「ディーン・アチソン」だと思います。

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Dean Acheson

   米国政府は、太平洋戦争前夜、日本派と中国派に分かれていました。日本派は日米戦争回避、中国派は日本弾圧です。アチソンは、中国派の代表格でした。

  ときの米国大統領、フランクリン・ルーズベルトは、中国ビジネスで儲けた

父親に影響され、中国寄りだったと言われています。

   アメリカ政府は、石油を日本に輸出することを禁止し、これが開戦への決定打となりました。しかし、この重要な決定がくだされたとき、大統領も、国務長官もワシントンにいませんでした。アチソン国務次官補が独断で決めたのです。これは最近、米国人が詳しい調査をした結果、明らかになりました。

   日本派の旗頭は、ジョセフ・グルー駐日大使でした。開戦までの10年間、グルーは東京で日米親善に尽力し、全身全霊で戦争回避に動きました。

   米政府からの最後通告は、有名な「ハル・ノート」です。それまでの日本の歩みをすべて否定し、10年前に戻れ、という無理難題でしたが、ハル国務長官が示した、もっと緩やかな条件を、誰かが勝手に書き直したという説があります。

   終戦が近づいた頃、アチソンは天皇制の廃止を主張しますが、グルーは反対し、これが天皇制維持につながりました。

   興味深いことがあります。アチソンも、ルーズベルトも、グルーも、高校は皆、「グロトン・スクール」を卒業しているのです。卒業年度は、グルーが

1898年、ルーズベルトは1900年、アチソンは1911年です。偶然ですが、グロトン・スクールは、1961年に、僕が1年間留学していた学校です。

   グルー大使は素晴らしい人物です。日本人が知っておくべき1人と思いますので、別の機会にもっとお話できたらと思います。