maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

留 学

羽田空港の、ターミナル・ビルの屋上で、父が、日の丸の扇を大きく振っているのが見えます。

 

    1961年7月。高校3年生の僕は、交換留学生として、これからアメリカに1年間行くのです。

     前年、鎌倉の自宅にアメリカから、一通のエアメールが届きました。

差出人は Groton School (グロトン・スクール)とあります。

     何だろうと思いながら、開けて見ると、翌年の9月から1年間、僕を留学生

として受け入れるという内容です。学校のパンフレットも入っていました。

     グロトン・スクールは、1884年創立の、名門私立ハイスクールです。

ボストンの北、クルマで2時間ほどの、グロトンという小さな町にあります。

男子校で、中高一貫の6年制、全員が寮生活です。

     フランクリン・ルーズベルト大統領が、1900年に卒業しています。

     1年前、日米交換留学生プログラムの日本側窓口である、文部省の試験に合格

してから、説明会に行ったり、パスポートを取得し、背広やタイプ・ライターを買い揃え、留学の準備をしてきました。

     VISAは当時、橫浜の山下町にあったアメリカ領事館で発行してもらったのですが、若い日本人職員(男性)が、機関銃のような速さで英文タイプを打ってくれました。

     そして今、120余名の日本人留学生の1人として、飛行機のタラップを

登ろうとしています。

     憧れの米国で、どんなことが待っているのか、胸が躍ります。