ウェストが半分に
インドネシアの北部にある「セレベス島」という名前は、聞いたことがあるかもしれません。今は、「スラウェシ島」と言います。
その、旧セレベス島の北部に、メナド(Manado)という港町があり、さらにその東にビトゥン(Bitung)という小さな港町があります。赤道直下です。
そのビトゥンに、3ヶ月出張しました。1980年頃です。中国系の取引先が新たに工場を建て、屋根用のトタン板を製造することになりました。
僕は建設指導する日本のトタン板メーカーの技術者3人と一緒に、現地の工場の寮に3ヶ月住みました。辺り一面、ヤシの林でした。
大変ユニークな経験でしたので、箇条書きにしてみます。
(1) 地図がないから、位置感覚がつかめない。
(2) 工場から町への交通手段は「馬車」。
(3) トイレット・ペーパーはない。左手で、水をすくい、洗う。
(4) 日本から送った工具や部品が、だいぶ港で盗まれた。
(5) 工員の給料日の翌日は、二日酔いのため、休む者が多い。
(6) 毎日、工場の工具がなくなる。
(7) 工場の守衛さんの第3夫人は、ジャカルタのインテリで、英語の先生。
(8) 鶏は、家政婦が生きたまま市場で買ってきて、台所で「締める」。
(9) 日本兵の生き残りに会った。出身地を言っていたようだが、不明。
(10) 飲み屋には電気がなく、ローソクの明かりで、暖かいビールを飲んだ。
(11) 労働許可証を当局に6回申請し、許可が出たのは、帰国直前だった。
(12) 経営者が当局への「つけ届」をケチったために、一時、建設を止められた。
(13) ジャカルタとの電話は、ほとんど繋がらなかった。
(14) 町の商店はすべて中国系であった。
(15) 住民が、ほかの島へ行くには、通行許可証が必要であった。
(16) 日本人全員、ウェストが半分くらい(?)になリ、ズボンがダブダブ。
食べ物にカロリーがないせいか、皆、どんどん痩せて、ついにウェストが半分くらい(?)に細り、ダブダブのズボンを、着物のように、前で合わせました。ビトゥンでは、自然にダイエットができます。
了
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