maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

名誉回復

2000年10月10日、当時の外務大臣河野洋平は、都内にある外務省施設の庭で、ある人物の表彰と、その遺族に対する謝罪をおこないました。

 

その人物とは、元外交官、杉原千畝(すぎはら ちうね)(1900〜1986) です。

 

表彰は、第2次世界大戦の直前に、多数のユダヤ人の命を救った杉原に対してであり、そして謝罪は、杉原の遺族に対するものでした。リトアニアイスラエルの代表も列席です。

 

杉原がこの世を去って14年がたっていましたが、外務省を追われて52年ぶりに、杉原はようやく名誉を回復しました。式典には、苦労をともにした奥様も参列しました。

 

河野大臣は、杉原を「勇気ある人道的行為を行った外交官」と称賛し、遺族に対しては、外務省による無礼があったこと、そして名誉を傷つけたことについて謝罪しました。

 

杉原は、第2次大戦時に、東欧、リトアニアの首都カウナスで日本領事代理をしていた外交官です。カウナスには、ナチス・ドイツから迫害された大勢のユダヤ人が逃げてきており、そこから、シベリア経由で、日本に行き、それからアメリカなどに逃げようとしていました。

 

それには、日本を通過するビザが必要です。ユダヤ人たちは、日本領事館の前に集まり、ビザを求めてじっと待っていました。

 

杉原はビザを発行すべく、本国の外務省に許可を求めますが、三国同盟のドイツに遠慮する外務省は許可しません。

 

杉原は決意し、独断でユダヤ人に4千通の「日本通過ビザ」を発行します。指が動かなくなるほど、手書きでビザを書き続けました。これで、6千人のユダヤ人が救われたといいます。

 

戦後、帰国した杉原は、外務省から「君の席はない」と言われ、仕方なく辞職します。

 

戦後も落ち着くと、杉原に命を救われたユダヤ人たちが、杉原に会いに来日しますが、外務省に消息を尋ねても、「わからない」、と言われます。河野外務大臣は、このことを謝罪したのです。

 

1985年に、杉原はイスラエルから、「諸国民の中の正義の人」という、日本人でただ1人の称号を与えられました。そして、翌年、86歳で永眠します。