maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

9イニングの人生(1)

あるときから、僕の人生は、野球に例えれば、奇数「イニング」(回)は調子が悪く、偶数「イニング」(回)は調子が良い、と思うようになりました。

 

僕の人生を、野球のように、9イニング(回)に区切ってみました。

 

プレイボール=小学校1年

1回:小学校の6年間は、「無得点」でした。

2回:中学校の3年間は、「得点」しました。

3回:日本の高校の2年間は、「無得点」。

4回:アメリカのグロトン・スクールでの1年は、「高得点」。

5回:帰国して、日本の高校卒業と大学受験は「無得点」。

6回:大学生活4年間と就職は「高得点」

7回:会社勤めと家庭生活は「無得点」。

8回:早期定年退職から第2の人生は「無得点」。(50歳〜76歳)

9回:第3の人生は?(76歳〜? )

 

[1 イニング]

小学校はキリスト教系の私立校で、勉強の水準は高かったです。勉強が大きらいな僕は、

成績がクラスのビリのほうで、いつも肩身が狭い思いをしました。

同級生は、大半がある有名私立中学に進学し、僕は市立中学でした。希望校に進学できず、かなり落ち込みました。

勉強以外は、ガキ大将で、大いにエンジョイしました。

1年生のときのM先生は、2年生のとき、シスター(尼僧)になり、卒業後も年賀状を交わしていました。僕が50歳を過ぎたある日、突然電話があり、「癌」であると、告げられました。そのとき、何と答えてよいかわからず、寂しいお別れをしました。

 

[2 イニング]

市立中学に1年間通い、2年に上がるとき、兄が通った、国大附属中学に編入しました。

良い伝統を持つ学校でした。先生たちは個性あふれ、立派な方たちで、校風も、男女関係などは自由で、「誰は誰が好き」などと平気で言いあっていました。

バスケットボール部に入り、夏休みに合宿したときの楽しい思い出があります。合宿は、横須賀の馬堀中学を1週間借りて行いました。1階で食事、2階の教室で寝ました。

3日目になると、激しい練習のため、全員、足が痛く、2階へいく階段を「這って」上り下りしました。

勉強は、なんとなく上のほうにいて、友人にも恵まれ、楽しい2年間でした。高校は希望の権利高校に入ることができました。