「9イニング」の人生〜その12
野球に例えた、「9イニング」人生も、今や、中盤の「6回」を戦っています。
大学生活4年間です。
プレイボール=小学校1年
1回:小学校の6年間は、「無得点」でした。
2回:中学校の3年間は、「得点」しました。
3回:日本の高校の2年間は、「無得点」。
4回:アメリカのグロトン・スクールでの1年は、「高得点」。
5回:帰国して、日本の高校卒業と大学受験は「無得点」。
6回:大学生活4年間と就職は「高得点」
7回:会社勤めと家庭生活は「無得点」。
8回:早期定年退職から第2の人生は「無得点」。(50歳〜76歳)
9回:第3の人生は?(76歳〜? )
6th イニング 続き
大学1年のとき、スキー・クラブに入ったことはすでに書きましたが、合宿には何万円か、費用がかかります。母親から、遊んでいるなら、少しはアルバイトでもしなさいと言われ、合宿代を稼ぐために、休暇中にアルバイトをしました。友人から聞いた、クルマの陸送のバイトです。
前日、綱島(横浜)にある、小さな陸送会社の寮に泊まります。朝、3時に起き、クルマがたくさん置いてある広大な駐車場で、事務所で聞いた、自分が乗るべきクルマをナンバー・プレートで探します。ここで働くベテランのお兄さん、おじさん達は、慣れたもので、すぐ見つけます。
僕は、バイトなので、トヨタの小型トラック専門でした。乗り心地は、シートが硬く、良くありません。乗り心地の良い乗用車は、ベテランの社員に割当てられます。
ガソリンを1リットルだけ入れてもらい、中原街道を通り、都心のトヨタ系のディーラーまで届けます。途中までは、先輩たちのあとについて走るのでラクですが、そのあとは、分散して、大抵1人になり、江東区とか、江戸川区とか、行ったこともないようなところにまで、届けます。渋谷には、綱島から、裏道につぐ裏道、住宅街などを通りながらの、すごい近道を覚えました。
鎌倉で育った僕は、東京の道は、まったく知りません。今考えると、地図を見ながら、毎朝、知らない街を走り、よく目的地についたものだと、感心します。
道に迷って、自分の金でガソリンを入れたこともありました。
最初の配達を終えると、電車で、綱島の陸送会社まで帰ってきます。1回のバイト代が千五百円程度だったと思います。
そして、次のクルマを配達し、それでその日の仕事は終わりです。
こうして、何万円かのバイト代を稼ぎ、スキーの合宿に行きました。
慶應ボーイたちは、お金を持っていて、派手に遊んでいましたが、何割かは、バイトをして、学費や遊ぶ金に当てていました。
実社会を少し覗いたわけですが、厳しいものだ、というのが実感でした。クルマの陸送は、2段ベッドから、朝3時に起き出し、都心に何回かクルマを配送する、という何の面白味もない、単純労働の繰り返しです。
そこで働いているお兄さん、おじさん達は、それぞれ事情があって流れてきたのでしょうが、かわいそうだなあ、と思いました。社会の日陰部分を見た、という感じです。