maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

蓼科高原

ハイキングに出かける僕たちのために、朝、「親湯(しんゆ)旅館」の仲居さんが、お握りをつくってくれました。とても優しいお姉さんだったのを覚えています。

 小学生のとき、夏休みに、母と兄と3人で、蓼科高原の親湯温泉に泊まったときのことです。

 プール平に行くには、バス道ではなく、山道を行くと、早く着きます。

25メートルの屋外プールがあり、「山水閣」という大きな旅館がありました。

 先年、60年ぶりに、その辺りに行ってみました。「プール平」という看板があるだけで、もうプールも、山水閣もありません。

 親湯旅館は営業していましたが、前庭にあった15メートルのプールは

「名残」だけがありました。父が、上諏訪の友人Tさんと一緒に僕たちに会いにきて、一緒に泳ぎました。

 学生時代に水泳の選手だった父の、見事なフォームを初めて見ました。僕はまだ泳げなかったので、Tさんにつかまっていました。

 同じ旅館に、僕たちより随分年上のお兄さん2人と、そのお母さんが泊まっていて、お兄さんたちは、旅館の前を流れる川の中を上流へ歩いていました。母から、そのお兄さんたちは東大生で、お母さんをよく手伝う偉いお兄さんたちである、僕たちも見習うように、と言われました。

 「東大生」というのは、すごいのだなあ、と思いました。

 夏休みの絵の宿題に、蓼科山を描きました。

 数年前から、秋になると、なつかしい蓼科を訪れるようになりました。

蓼科湖近くのリゾート・ホテルに泊まるのですが、芝生の庭に彫刻などがあり、芸術的で、赤トンボが多いのも気に入っています。