maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

野尻湖合宿

大学3年生のゼミの夏季合宿は、長野県の野尻湖でした。

 午前中は、グループに別れ、前の晩に徹夜で準備した研究発表や、ケース・スタディの結果発表。午後は外に出て、バレーボールのブループ対抗試合など、スポーツをしました。

 ケース・スタディは、ハーバードのビジネス・スクールのように、先生がケース(実例)を提示し、その事態にいかに対応するのがベストか、各グループで経営方針を練り、発表しました。たしか、アメリカの自動車産業に関するケースが提示され、僕たちのグループは「Ford」のネーム・プレートをつくり、胸につけて発表したのを覚えています。

 また、ホテルの桟橋から湖に飛び込んで遊びました。湖には島があり、船で行ってそこの神社の境内で、宝探しをしました。

 夜の部では、仮装寸劇大会がありました。写真を見ると、歌舞伎役者、アラビアの王様、等々、多彩な顔ぶれです。僕は、チャイナ・ドレスを着ています。「女形」には、先生の奥さんが顔に「どおらん」を塗ってくれました。

 いろいろな「班」に分かれ、役割分担をしました。写真・食管・学術・教養・運搬・新聞・風紀・留学生・保安などがありました。僕は、何班だったか、覚えていません。新聞班の人たちは大変でした。夕飯が終わり、勉強が終わり、11時頃から、その日の出来事を記事にし、明け方ガリ版で刷り、朝食のとき配るので、K君など、徹夜の連続だったようです。

 僕は、アメリカで買ってきたバーミューダ・ショーツをはいていたら、「西洋乞食」というあだ名をもらいました。当時は、すごくやせていて、お尻も出ていなかったので、ショーツ姿もサマにならなかったようです。

 合宿は、4年生も参加しますが、3年生が中心です。当時、4年生は、春から就職活動が始まり、たしか、夏にはもう内定が出ていました。大学で「勉強した」のは、3年生の「レポート提出」、地獄の4ヶ月間だけだったと言えると思います。

 アメリカの大学では、その「地獄」が4年間続くわけですから、すごく実力がつくと思います。それで、途中で脱落する人も多いようです。

 その後、僕たちが泊まった「野尻湖ホテル」はなくなり、草ぼうぼうの空き地になったそうです。若者たちの「夢の跡」ですね。