maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

おしん

僕が「おしん」を観たのは、台湾の台北に駐在していたときでした。

 町のビデオ屋が、日本で録画したVHSテープを、すぐ飛行機で持ち帰り、

何本かコピーし、貸し出すのですが、いつも2週間の順番待ちでした。

 

最近、テレビで「おしん」の再放送をしているようですが、おしんの幼い頃は、かわいそうで観ていられません。

 

強く印象に残っているのは、おしんが伊勢に越してきたときの場面です。気候温暖で、魚がたくさん獲れるところです。早朝、浜辺で、新参者のおしんが、次々と魚を競り落とし、独り占めしてゆく、すごい迫力でした。

 

そして町まで、片道6キロの道のりを、車を押して行商し、売りさばく。商才と根性が本領発揮です。重労働でしたが、あの、雪に埋もれた寒村で、寒さに凍えながら、食うや食わずの生活をしていたときに比べれば、天と地ほどの差です。

 

古民家を見かけると、「おしん」を思い出します。

 

おしんが起点となったスーパー「たのくら」は、1982年に16店舗にまで広がりましたが、17店目のオープン当日、おしんは行方不明になります。

「たのくら」を離れ、寒村に戻ろうとしたのです。

 

今の人生は、自分が追い求めたものではない、と思いながら。

 

おしん」はアジア諸国をはじめ、世界68カ国で放映されたそうです。苦労と苦難の連続でしたが、挫けず、激動の世を生き抜くおしんの姿が、世界の人々の共感を呼んだのでしょう。

 

おしん」はまた、日本社会の歴史、世相の変化を知る助けになります。戦前の寒村の貧しさを極めた生活、町の生活振り、戦争、戦後の新しい世の中、など参考になります。寒村では、貧しさゆえに、子供を売るも同然の「奉公」に出す、娘を花街に売ったり、流産という「間引き」をする、「姥捨て」もあったでしょう。

 

昔、シンガポールに出張したとき、当時の「ヤオハン」は有名でした。経営者の和田一夫氏の母「カツ」さんは、かつて「八百半商店」を営み、「おしん」のモデルとして知られています。