maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

9イニングの人生〜その16

オーストラリア駐在(2)

シドニーでの1年間で特記すべきは、娘が生まれたことでした。

キリスト教系の病院で生まれたのですが、医療体制は素晴らしかったです。

ホーム・ドクター制度が確立していて、分娩は大病院、生まれたあとは、

母子専用の「ハウス」で、母子は天国のような2週間を過ごします。

母親は、授乳のときだけ、乳児と一緒で、あとは、シスターである

ナースが別室で24時間、乳児の世話をします。

母親は、「ハウス」でゆっくり、のんびり、2週間を過ごし、

元気を回復します。

 

あっという間に1年が過ぎ、今度は、メルボルンへ転勤することになりました。

シドニーでの大きな仕事が終わったためです。

 

シドニーからメルボルンまで、2千kmくらいあったでしょうか、

途中で1泊しながら、妻と娘を乗せ、クルマで引っ越しました。

メルボルンでは、やっと見つけた貸し家に落ち着きましたが、

オーナーが、2ヶ月もしないうちに、1年の旅行予定を切り上げて、

帰宅するので、引っ越して欲しいと言われ、また引っ越しました。

そのオーナー夫妻は、1年間、キャンピングカーでオーストラリア

全土を巡りながら、エンジョイする予定でしたが、2ヶ月も

しないうちに「ホームシック」にかかってしまったそうです。

海外転勤も含めると、人生数え切れないほど、引っ越しました。

 

 メルボルンでは、変な支店長につかまり、毎日説教されました。

その人は、そういうクセがあるようで、私のあとに、別の人が

新たに赴任してきたら、今度はその人を毎日説教していました。

 

メルボルンシドニーとは非常に違う町でした。

大変保守的な雰囲気でした。

気候的にも、シドニーよりも南で、南極に近いため、

9月から3月まで、ストーブを使いました。

 

ゴルフは毎週のようにやり、かなり上達しました。

我々がよく行ったパブリック・コースでは、千円くらいでプレーできました。

朝、コースに着いたら、駐車場で靴を履き替え、家から着てきた

ゴルフ・ウェアで、クラブ・ハウスに行きます。

クラブ・ハウスで料金を払い、そのままスタートです。

すいているので、到着順にスタートです。

食堂も、更衣室も、浴場もありません。

ハーフが終わると、そこは、クラブ・ハウスから遠いところで、

キッチン・カーでミート・パイを買い、食べ終わったら

すぐインコースのスタートです。

こんな調子で、昼頃には18ホールのプレーを終わります。

そのあと、皆でバーベキューをすることもありました。

 

オーストラリア人は、5時に仕事を終わります。

家に帰り、家の修理をしたり、バーベキューをしたり、

暗くなるまで自由な時間を過ごします。

週末には、郊外に出かけ、3年くらいかけて、別荘を自分で

建てる人もいます。

豊かで、自由な時間がたくさんあります。

家は日本よりずっと広いです。

 

すべてが日本と反対で、素晴らしいのです。ところが、

永住したはずの日本人が10年もすると日本に帰ってきてしまうことがあります。

私には、理由がよくわかります。

環境が良すぎて、単調すぎ、退屈してしまうのです。

日本のような「味わい」がないのです。

夏祭りのお囃子の音を遠くに聞きながら、スイカを食べる、

というような「風情」がないのです。

魚、肉、野菜サラダ、バーベキュー、だけでは飽きてしまいます。

やはり、「そうめん」や「さんま」も食べたいのです。

 

もちろん、オーストラリアに永住している日本人もたくさんいますが。

私は日本に住みたいです。