maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

ボブ・ホープ

高校時代の同級生M君は、数年前に永眠しました。

 M君は、ものすごく頭が良く、東大に現役で「悠々と」合格しました。「ガリ勉タイプ」ではなく、いつも遊ぶ話をしていました。明るい性格で、よく冗談を言い、まさに「良く学び、良く遊ぶ」の典型でした。

 フルブライト奨学生としてアメリカに行ったのも、「余裕」だったと思います。

 彼は当時、洋画(映画)に夢中で、あらゆる洋画の主演、監督などを知っていました。そういえば、風貌がボブ・ホープ(Bob Hope)に似ていました。特に顔は、そっくりでした。ボブ・ホープは、1940年代から活躍したアメリカの映画俳優です。

 僕とM君、そしてN君、の同級生3人は仲が良く、大学生になってからは、一緒に飲んだりしましたが、M君が、一番豪快に飲みました。

 M君は、大学院を卒業すると、三菱重工に就職し、LNG船の設計をしていましたが、数年で会社を辞め、自分でビジネスを始めました。デジタルに詳しく、というより、達人で、パソコンを使いこなしていました。彼のように、特別に能力があり、創造的にいろいろなことをしたい者には、大きな組織の歯車は合わなかったのでしょう。特に、三菱重工は、巨大な組織で、形式にうるさく、官僚的だったに違いないと想像します。テレビ・ドラマ「下町ロケット」に登場する「帝国重工」のモデル会社です。

 

麻布十番のオフィスに彼を訪ねたことがありますが、ヨーロッパの会社と、

何か軍事システムの導入について交渉していると言っていました。巨額の大型商談だったようですが、後日聞いたところでは、うまく行かなかったそうです。

 彼が「咽の癌」で亡くなる数ヶ月前だったと思いますが、彼やN君をはじめ、高校の同級生数名で、中華料理を食べながら、歓談しました。そういえば、その食事会の日程を、1度決めた後に彼が、「検査がある」というので、変更した覚えがあります。そのときには、癌だとわかっていたのでしょう。

 彼は、病床で洗礼を受けたので、葬儀は奥さんも通う世田谷のカトリック教会で営まれました。1周忌の礼拝にも行きましたが、友人で来ていたのは僕だけだったと思います。

 M君、いずれあちらで、N君と3人で飲もう!約束だよ!