日本人のお手本
今、日本人のお手本といえば、聖路加国際病院で有名な日野原重明先生だと思います。
3年前の2017年、105歳で永眠されました。
ご自身が内科医でしたが、延命治療は望まず、自宅で静かに息を引き取られました。
90歳を過ぎても、ダイアリーは5年先まで、予定で埋まっていたそうです。
毎日、過密スケジュールをこなしておられました。
若いお医者さんたちには、とにかく、医療でもっとも大切なのは、患者さんと心を通わせることだと教え、自らも毎日入院患者さんのベッドを回り、話しを聞き、励ましたそうです。日野原先生のおかげで、末期癌の患者さんが、生きていようと思ったそうです。
40もの役職につき、生涯で、共著も会わせれば340冊もの著書を出版されました。
私も、たった1冊の薄い本を出版しましたが、それでも大変でした。
私たちがよく知っているのは、2001年に出版された「生き方上手」でしょう。
120万部の大ヒットで、世のブームとなりました。
人生は70歳から、というのが持論で、60歳はまだ子供、と言われました。
日野原先生は、患者さんのために尽くすという夢をもち、見事に実行されました。その夢があったために、多忙で大変な人生も、「苦」ではなく、「楽」として生きられたのだと思います。先生の優しい表情と言葉が、なつかしく思い出されます。
睡眠時間は4時間程度で、階段は、健康のため、10階でも歩いて上りました。
医療の世界で、それまでは、心臓病や糖尿病などを、「成人病」と呼んでいましたが、日野原先生はこれを「習慣病」と呼び直すことにし、政府があとを追い、「生活習慣病」と名づけました。
1995年の地下鉄サリン事件のときは、日野原先生が陣頭指揮をとり、640人もの患者さんを収容し、治療にあたりました。その数年前に、先生が、災害に備え、病院の廊下などに、数千本の酸素パイプを設備しておいたのが良かったのです。反対する人も多かったそうですが、先生の「見識」と「決断」が見事でした。
あらゆる点で、日野原先生は日本人のお手本です。