maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

守護神

日本人が台湾の村の守護神として、崇められています。

 そう聞けばすぐ、「八田與一」(台湾の農業の神様)を思い浮かべる方が多いと思いますが、今日ご紹介するのは「杉浦茂峰」氏です。多分ご存じないと思います。

 僕もつい最近、YouTubeで初めて知りました。

 台湾・台南市の「海尾集落」というところには、杉浦茂峰を「飛虎将軍」という神様として祀る立派な「廟」(神社)があり、毎日、朝夕、村人が「煙草」に火をつけて供え、「君が代」と「海ゆかば」を歌うのだそうです。

君が代」はともかく、最近の日本人は「海ゆかば」を知りませんね。

日本人の精神の根本を歌う、美しい曲です。

 僕は、商社マンとして、1983年〜1988年、台湾・台北に駐在しましたが、日本の人気はすごかったです。日本が戦前、50年間台湾を占領していたときに、植民地として利用したのではなく、日本を模範として「近代化」したので、今でも、台湾の人から大変感謝され、尊敬されています。現在の、鉄道、学校、病院などは、すべて日本が1895年〜1945年につくったものが基礎となっています。日本が占領した当初の台湾の文盲率は90%でした。しかし、日本は1928年に7番目の帝大として「台北帝国大学」をつくりました。現在の、「国立台湾大学」です。

 さて、杉浦は、太平洋戦争のとき、日本海軍の零戦パイロットで、台湾の空を護っていました。そこへ、1944年、米軍の攻撃があり、杉浦は台南上空で米軍機に撃墜されます。しかし、頑張って集落を避け、人家のない畑の上空まで飛び、そこでパラシュートで脱出しますが、米軍機の機銃掃射により、死亡します。

 その後、複数の村人が、杉浦の夢を見ましたので、1971年に「祠」(ほこら)を建て、拝みました。すると願い事が叶えられることが相次ぎ、村人は1993年に大きな「廟」(びょう)(神社)を建て、杉浦を神として祀ります。

 その廟を2016年の春に訪ねた日本人作家が、夢を見て、杉浦に「生まれ故郷の水戸に里帰りしたい」と言われました。そして、その年の9月に杉浦のご神像が水戸に帰り、護国神社で慰霊祭と御輿の祭りが行われました。

 杉浦の「神像」を乗せた特急は、かつて杉浦が飛行訓練を受けていた霞ヶ浦航空基地の辺りで、原因不明の緊急停車をし、また、フェリーの上から富士山を見せたとき、駿河湾の上空にゼロ戦が現れたそうです。

 台湾の人は、かつて「日本人」として、日本とともに戦争を戦ったことを誇りに思い、尊敬していますが、台湾と同じ境遇であった、韓国・朝鮮は、憎き敵日本に戦争で勝った、と誤った主張をしています。

当時、韓国・朝鮮の若者は、日本に憧れ、日本の軍人になることが最高の名誉でした。

日本は両国に同じ「近代化」をしましたが、結果は対照的です。

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「飛虎将軍」杉浦茂峰。

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水戸のお祭り。