maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

「9イニング」の人生〜その13

 

日吉キャンパスにおける、もったいないというか、あまり収穫のない「教養課程」

の2年間が終わり、後半の「専門課程」2年間を過ごすべく、三田キャンパスに移動しました。

 

専門課程では、ゼミナールに入ることを兄からもアドバイスされていたので、評判の良い、Sゼミナールに入りました。私たち3年生が25名、先輩の4年生も25名という構成です。

 

S先生の専攻は、国際経済学の中の「貿易論」でした。

 

一般の学生たちと同じく、S先生の貿易論の授業を受けながら、毎週、ゼミナールの授業も受けました。

 

入ゼミ歓迎旅行の熱海から帰ると、「地獄のレポート提出」が待っていました。4月から7月にかけ、合計12本のレポートを先生に提出し、すべてに「合格」をもらわなければなりません。毎週1本のレポート提出です。

 

月曜日にゼミの授業があり、レポート提出日なので、毎週日曜日は徹夜でした。

 

月曜日に先生からレポートの題を言い渡され、それに使う参考文献を探しに神田の古本屋街を歩き回りました。レポートはレポート用紙に10枚以上は書きます。短いと合格がもらえません。

 

数冊の参考文献から、有名な学説を書き出し、つなぎ合わせ、なんとかまとめたものを清書すると、月曜日の朝になっていました。

 

こうして提出した、第1回のレポートの題は「古典学派の重商主義批判と自由貿易への積極的提言」でした。今となっては、この題の意味さえ分かりませんが、当時は神田の古本屋街で、古典学派の本を探し回ったものです。

 

そして、友人の記録によれば、初回は、「全員不合格」で「再提出」というスタンプが押され、返ってきました。そして、新しいレポートの題、「日本貿易構造の特質とその進路」が課されます。その週は、旧レポートの書き直しと新レポート作成で、2つのレポートに追われます。日曜日は昼間から書いても、徹夜になります。

 

僕は、よく覚えていませんが、友人は最大5つのレポートをかかえ、必至で書いたそうです。

 

こうして、なんとか、7月の中旬までにはすべてのレポートに合格をもらい、7月16日から1週間、長野県の野尻湖ホテルでゼミの合宿がありました。

 

僕たち3年生と、先輩の4年生、合わせて50人と、先生ご夫妻、助手の先生2人、というメンバーです。

 

午前中は授業や発表、午後はグループ対抗のスポーツ、夜はパーティや寸劇大会などのイベント、という毎日でした。ここでも、グループに分かれた研究発表などがありましたので、徹夜の日もあり、皆、眠そうな顔をして朝食を食べました。

 

しかし、まさに、地獄のようなレポート提出「修行」を終えたので、この合宿がこの上なく楽しく感じられました。