maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

記念誌と人

僕は今、ある記念誌の発行を進めています。

6月14日にも、同じ記念誌のことを書きましたが、今日はもう少し詳しく書きます。

 

慶應大学に、かなり有名なSゼミナールがあり、僕は3年生になったとき、そのゼミに入りました。同期生は25名で、1年先輩の4年生も約同数います。1965年4月のことです。

 

S先生は、貿易論(国際経済学)が専門です。僕たち同期生は、ゼミを通じて、かなり親しくなり、記憶に強く残る2年間を過ごしました。入ゼミ旅行、授業・試験、研究発表、レポート提出、ドライブ旅行、夏季合宿、三田祭展示発表、就職活動、卒業旅行、等々、2年間にたくさんの経験を共有しました。

 

卒業から53年が経過した今年、僕は、コロナ騒動が始まった2020年2月から、どういうわけか、心身とも絶好調で、毎日徹夜でエッセイを書いていましたが、そろそろエッセイを「本」にしようかという、5月のある日、Sゼミの同期による「記念誌」を発行しようと、突然思いたちました。

 

思ったとたん、パソコンに向かい、同期生にメールを打っていました。主立った人に根回しすることもしませんでした。いきなり、記念誌を発行するから、6月30日までに、寄稿して欲しい、ゼミの想い出、その他、近況でも何でもいい、と伝えました。

 

特別寄稿は、学生当時のK助手と、2年先輩のCさんです。Kさんは、ゼミの4年先輩、Cさんは、台湾人で台北に住んでいます。さらに、1年先輩の、親しい2人の方に依頼しました。

 

それからですが、原稿を集める過程で、大げさにいえば、同期生たちの「人間性」や「思考」と、最近の「生きざま」を、非常にはっきりと見ました。驚くほど、はっきりとです。75〜6歳の今、皆、第3の人生を歩んでいますが、同期で一緒に何かするのは、これが最後でしょう。

 

一番親しいと思っていた、年に何回も飲み会で同席する2人の友人からは、寄稿を断られました。2人とも、ゼミの中心的な人物だったので、驚きました。一方、卒業以来、話もしていない2人のひとから、素晴らしい寄稿を、質・量とも最高レベルの原稿を、何本も頂きました。

 

それから、10年前に、脳梗塞を患い、後遺症の失語症で、リハビリに励んでいる友は、記念誌の寄稿に意欲が湧きました。そして奥様による代筆で、5年前にした南米への船旅のことを書いてくれました。船長服に身を包んだ写真も添えてくれました。

 

これらをどう整理し、これからの人生で、どう生かすべきか、今、考えているところです。

 

とりあえず、記念誌は、7月中旬には、皆さんの手に渡るようにします。