9イニングの人生〜その7
父、来たる!(1)
僕が高校3年生のとき1年間寄宿した、全寮制のグロトン校へ、父が卒業式に参列するため、訪ねて来ます。それを前に、日本に書いた手紙の一部です。
「1962年6月5日(火) (注:ボストン北部・グロトン・スクールにて)
親父は多分ニューヨークから電話をくれると期待しています。多少予定が遅れたようですが、まあ卒業式に間に合うんだから、文句ありません。
今日は『歴史』の時間に論文を返してもらい、おどろいたことには『A』をもらい、クラスで一番とのことでした。やっと本懐をとげました、というところ、いい気分です。
『英語』はまだ返してもらっていませんが、先生が良くできてたといってたから、余り悪くはないでしょう。『哲学』は Honors(優)で85点。学科も多少安定してきたところで卒業というわけです。
もっとも、3つも論文を続けてタイプしたときはノイローゼ気味でした。あとは期末を合格するつもりです。明日はすでに「化学」と「哲学」があります。
以上が、日本に書いた手紙です。
父、来る!(2)
いよいよ父が僕に会いにアメリカまできました。
その時の様子を書いたものがありましたので、ご紹介します。
僕が寄宿生活を送っていたグロトン校に、父がやって来ました。
父には何も親孝行らしいことをしませんでしたが、唯一、僕が留学したことで、アメリカに来る機会をつくってあげられたのが、良かったです。
父が来たのは、6月中旬の卒業式(Prize Day)に参列するためです。
早速、校長のお宅に父を案内しました。ジョン・クロッカー夫妻は、快く迎えてくれました。隣のゲスト・ハウスに、父は2泊3日、お世話になります。
父は日頃、大学時代に、英国人の先生から授業を受けたと自慢していたのですが、今回、英語は全然話せませんでした。喉元まで来ているらしいのですが、ついに英語は出てきませんでした。1度、” I am・・”と言おうとして、
” I be ・・” まで言いました。父が気を悪くしないように、通訳しました。
卒業式当日になりました。講堂は親たちで一杯です。卒業生が名前を呼ばれ、前に出て、卒業証書を受け取るのですが、そのとき、成績の良かった生徒は、ラテン語で、「クム・ラウドゥ」(cum laude)(優秀)とか、称号をつけて呼ばれます。僕には何も称号がつかなかったので、あとで父からがっかりしたと言われました。
僕としては、怠けるどころか、過労で校内病院に2日入院するほど、頑張ったので、後悔はありませんでした。9月の新学期から、クリスマス休暇まで、授業内容がほとんど分からず、苦労しました。
さて、式が終わると校庭に出て、1列に並んだ先生たち全員と握手しました。僕は、グロトンのブレザーを着て、お揃いのネクタイを結び、お揃いの平たい麦わら帽という晴れ姿です。
帰国が近づいています。日本に帰ったら、2度とアメリカに来ることはできないと思い、寂しかったです。