maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

9イニングの人生〜その2

3rd イニングと4th イニング

3rd イニング

高校は、県立湘南高校に入学しました。湘南地区から、真面目で勉強のできる生徒が集まっており、東大合格者の数は、全国で上位でした。スポーツも盛んでした。良い先生もたくさんいました。でも、遊びが好きな僕には、学校全体が少し「真面目」過ぎました。

 

成績は、英語だけは好きなので、良かったですが、あとは、勉強しなかったので、下の方でした。といって、運動部に入るほどの体力はなく、勉強もせず、運動もせず、中途半端な生活でした。野球でいえば、ベンチを温めていた、というところです。

 

4th イニング

そんな高校生活でしたが、2年生のときに、アメリカへ1年間、留学できるプログラムがあるというので、試験を受けました。旧文部省による英語の試験でした。

 

当時は戦後まだ16年、海外に行くには、大変な費用がかかり、庶民には縁のないことでしたが、公費で留学できるというので、この「AFS交換留学生プログラム」は大変な人気でした。

 

あとで聞いたところでは、神奈川県の1次筆記試験の競争率は50倍だったそうです。僕は3次試験も受かり、神奈川県で最終合格した6人の中に入りました。男子3名、女子3名でした。

 

そして、3年生の7月から、アメリカに留学しました。日本全国から、合格した120余名が集まり、チャーター機に乗り、20時間もかけて、ハワイ経由、ロス・アンジェルスに到着しました。

 

僕には、たまたま、ボストンの近くにある、「全寮制の私立男子ハイスクール」が割当てられましたが、ほとんどの留学生は、全米各地のホスト・ファミリーとマッチングされ、家庭から公立高校に通いました。ガール・フレンドやボーイ・フレンドとデートしたり、ダンス・パーティーに行ったりしたようですが、僕は寮生活なので、できませんでした。