maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

ヤマメ定食

食堂の大きな「いろり」に、ずらりと魚を並べ、おばあちゃんが炭火で焼いています。

 

  ここの「ヤマメ定食」が最高に美味しいです。「アユ」よりも、「マス」よりも、「ヤマメ」が好きです。

 

  ここは、山中湖にほど近い、「道志村」渓流フィッシング・センターの、

大食堂です。毎年、5月の連休にだけオープンする、人気スポットです。

 

  僕が住む忍野から、山中湖を経て、道志川沿いに10分ほど下ると、着きます。春は桜、夏は渓流釣りとキャンプです。

 

  誰も知りませんが、「道志川」は横浜の水源の1つで、道志村は橫浜市と姉妹関係にあります。地図を見ると、なるほど道志川は相模湖の横を通り、相模原まで流れています。

 

  実は、TOKYO 2020オリンピックでは、相模湖をスタートし、道志川に沿う上り道は、自転車レースのコースになっています。ここから山中湖まで上り、篭坂峠を下って、富士スピードウェイに到達、折り返して今度は篭坂峠を上り、山中湖が最終ゴールです。

 

  道志村の坂道を、ときどき自転車で上がる人たちがいますが、ギヤをロウにして、人が歩くようなスピードで、あえぎながら、上っていきます。

 

  オリンピック選手たちは、どのくらいのスピードで上っていくのか、非常に興味があります。

 

TVで、「ツール・ド・フランス」などを見ると、すごいスピードでアルプスの急坂を上っていきます。それを、ぜひ肉眼で見たかったのですが、コロナ・ウィルス流行のため、1年延期になりました。

 

来年、道志村「道の駅」に車を駐めて、ぜひ見たいです。

ホスト・ファミリー

ニューヨークからボストンに着き、グレイハウンド・バスを降りると、ホスト・ファミリーのダディ(お父さん)と、僕と同年で長男のキャル(Calvin)が、

出迎えてくれました。

 

  高校3年の僕は、留学先のアメリカに着いたばかり。これから1年間、ホスト・ファミリーのバローズさん一家にお世話になります。

 

  1961年7月、生まれて初めて、宿題のない夏休みが、始まります。ボストンのお宅には寄らず、ダックスベリーのサマー・ハウスに直行です。

 

  お父さんは、ボストン大学付属病院の医師、長男のキャルは、9月から僕が寄宿するグロトン・スクールの同級生です。

 

  さて、40分ほど南へ走り、ケープ・コッドの北にある小さな町、ダックスベリーに着きました。

 

  マム(お母さん)、それから次男のビル(高校2年生)と握手しました。芝生の庭を、3人娘、長女のエレン(高校生)、次女のエミリー(中学生)、三女のセーラ(小学生)が走ってきます。

 

  賑やかな7人家族に僕が加わりました。お父さんは、夏休み。お母さんは、職業はなく、銅版画が趣味です。

 

  ダディは、僕たち男子3人のために、庭にDIYのバンガローを建てていました。完成間近で、僕もノコギリで板を切り、手伝いました。

 

  バローズ家は、初日から僕を家族として、暖かく迎え入れてくれました。この家族で良かったです。夕食では、ステーキの横に、ライスを添えてくれました。パラパラの外米でしたが、ここはアメリカです。

 

    明日は、ここから4kmのところにある、ダックスベリー・ビーチでバーベキューをするそうです。食事と団らんのあと、ベッドにもぐり込み、ぐっすり寝ました。

2021年明けまして

明けましておめでとうございます。

 

「初日の出(はつひので)維新の夜明け桂浜」(坂本龍馬を詠みました)

「元旦に世界を睨む万次郎」 (ジョン万次郎を詠みました)

 

2年前、高知を旅してきました。山梨から高知まで、愛車で、往復2,000km走り、足摺岬のホテルに2泊しました。

 

高知といえば、まず「坂本龍馬」でしょう。しかし残念ながら、桂浜など、龍馬の史跡には寄る時間がありませんでした。

 

それで、先日Google Earth という地図で、桂浜に行き、公園に立つ龍馬像がしっかりと

太平洋を睨んでいるのを見ました。

 

龍馬は、日本の夜明けを演出した人ですね。その龍馬が、今朝、初陽を浴びながら、太平洋の向こうに世界を見つめる姿を思いながら、詠みました。

「初日の出維新の夜明け桂浜」

 

それから、高知行きの主目的、「ジョン万次郎」です。江戸時代、足摺岬の漁師でしたが、13歳のときカツオ漁に出て、沖合で嵐に遭い、東京のはるか南方の「鳥島」まで流され、アメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカで勉強し、10年後に日本に帰り、「武士」になりました。波瀾万丈の人生です。万次郎が漁に出た足摺の

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ジョン万次郎の生家


「中ノ浜」と、そこの村にある小さな生家を訪ねてきました。

 

足摺岬では、ジョン万次郎が雄々しく立ち、太平洋を睨んでいました。

今日も、日本よ世界に目を開け、と立っているでしょう。

「元旦に世界を睨む万次郎」

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足摺岬

 

日本には本当に「偉人」がたくさんいます。それで今日の日本があるのだと思います。

そして現在も、日本や世界のために生きている人がたくさんいます。

 

そういう人たちをぜひブログで紹介していきたいと思っています。

 

今年もよろしくお願いします。

 

 

川の文化

    世の中に、こんなにつらい肉体労働があるのか、と思いながら、僕たち男女4人は、500メートルのコースで、必死にボートを漕いでいます。

 

  戸田で行われた、社内レガッタ(ボート・レース)、ゴールまであと100メートル、左右のボートが並びかけてきます。

 

  ギリギリ1位でゴール・インし、優勝です。しかし、ハイタッチはしたものの、ほとんど息ができないほどバテました。

 

  500メートルのコースを、予選、準決勝、決勝と1日に3回漕ぎました。

 

  レースの日までに、早朝練習を何回かしました。荒川区の「尾久」に、我が社・ボート部の合宿所があり、そこに前泊、早朝、荒川で練習です。ボート部の選手が漕ぎ方を教えてくれました。終わると、風呂に入り、出勤です。

 

  出場種目は、男女混合のナックル・フォア。自分の体の幅しかない、細長いボートに、男性2人、女性2人が縦に座り、一番後にコックスと呼ばれる舵をとる人が1人、計5人です。僕たちは、同じ課の仲間です。

 

  4人の息が合い、オールがしっかり水をつかめば、船は速く進みます。長いオールの先がブレードです。水平にしたブレードを、水面に入れる寸前に垂直に立て、水をつかみ、腹筋をつかって、グイッと大きく漕ぎます。

 

  4人のオールのタイミングが合わないと、船は重く、進みません。

 

  ある週末の、ボート・ピクニックは、皆の気持ちを合わせる良い機会になりました。往きは、ボート部の人が道案内してくれました。朝、尾久を出発、墨田川を下り、荒川を経て、さらに江戸川へ。途中で岸に上がりお弁当。パナマ運河のように水位を変える運河も通り、「川の文化」を満喫しました。

 

  最後は千葉県、市川の船宿に到着。すでに日は落ち、他のボートたちも全員集合し、宴会のあと、1泊しました。

2021年1月6日

今日は2020年12月29日、テレビのニュースはコロナ一色です。

 

一方、ネットのニュース、たとえばYouTubeでは、米大統領選挙の話題が依然として賑やかです。

 

来年1月6日に、米議会で今回の米大統領選挙の州別投票が集計され、そこで、次期大統領が正式に決定します。

 

今回の選挙の特長は、左翼の民主党バイデンが勝っても、右翼の共和党トランプが勝っても、大きな暴動が起きる危険があるということです。

 

左翼にも右翼にも、過激派がおり、いつでも暴力騒動を起こす危険があります。

 

さて、1月6日の、議会による当選者決定において、決定的な役割を演じるのがペンス副大統領だということが明らかになりました。

 

米議会のルールにより、副大統領が上院の議長であり、その議長は、不正な投票を「無効」とする権限を持っています。

 

今回の選挙は、12月14日に、バイデン306票、トランプ232票で、バイデンが勝利しました。しかし、ジョージア州ペンシルベニア州はじめ、合計6〜7の州で選挙違反が行われ、バイデン候補に有利に、トランプ候補に不利になったとの主張があります。訴訟もたくさん起こされています。

 

もしペンス副大統領が、問題の州の投票を無効とすれば、トランプが逆転し、当選しますので、責任重大です。

 

実際、1800年の大統領選挙で立候補していた、トーマス・ジェファーソン副大統領は、みずから、ある州の「投票」を「不正により無効」として拒否し、結果、自らが大統領に当選した、という事実があるそうです。

 

今回、どちらの候補が勝っても、「暴動」は避けられそうもなく、ペンス副大統領は大変な立場に立たされたようです。

 

これは、米国の歴史にのこる選挙になるでしょう。

世界の小澤

僕たちは、鎌倉芸術館のすぐ近くのそば屋で食事をしていました。

 

そこへ入ってきたのが、誰あろう、「世界の小澤」でした。これから、芸術館に出演する人です。「一番簡単なおそばは何?」。「かけそばです」。「あ、それください」。小澤征爾さんは、注文の仕方も気さくでした。

 

僕と、「世界の小澤」との距離は、2メートル。近づいて、サインを頼める距離です。しかし、小澤さんをそっとしておいてあげたい、という気持ちが勝ちました。

 

  それ以前に1回、「ニアミス」?したのは、小田急線の中です。僕はその頃、新百合ヶ丘に住んでおり、ある日、小田急に乗ると、すぐ近くに小澤さんが立っていました。どうも、草野球の帰りらしく、数人の仲間と、野球談義をしていました。そのうち、席が空いて、彼が座りました。

 

すると、大きなバッグを開け、分厚いスコア(楽譜)を取り出し、目にもとまらぬ速さで、ペイジをめくりながら、赤鉛筆で何やら書き込んでいきます。今まで野球談義をしていた人とは別人でした。

 

小澤さんは、ボストン交響楽団の指揮者を長年つとめていました。ぼくも、ボストンに滞在していたことがあるので、すごく親近感を感じます。同じ景色を見、同じ空気を吸ったからです。

 

数ある小澤さんの演奏の中でも、ウィーン・フィルハーモニーとのニューイヤー・コンサートは格別です。2002年、「楽友協会」の四角いホールで、恒例のラデツキー行進曲やウィンナー・ワルツなど、小澤カラーの演奏は、ユーモアも交え、出色でした。CDが出ていますが、YouTubeでいつでも見られるのが嬉しいです。

 

小澤さんの最大の功績は、「サイトウ記念オーケストラ」を創ったことでしょう。松本に聴きに行きたいのですが、一度も実現していません。

 

彼の活躍に、斉藤先生も、天国で・・・やはり怖い顔をしているのかな?

館山沖

釣り針に餌をつけていると、グッと吐き気を催します。

 

  それをこらえて、教えられたように、水平線を見ます。船は揺れていますが、水平線は動きません。すると、吐き気が治まります。また餌をつけ、吐き気、水平線、治まる、このくり返しでした。

 

  従い、鯛のいる100メートルの深さまで、糸を垂らすのが、大変です。

 

  僕たち3名は、M課長に誘われ、千葉県の館山沖で、鯛釣りをしています。しかし皆、海釣りは初めてです。一方、Mさんは、「釣りバカ日誌」で主演が

勤まるくらいの人です。

 

  100メートルの糸を巻き上げて見ると、小さな「レンコダイ」が3尾、ついていることもありました。

 

船頭さんが、何やら、早くしろと、怒っている様子です。別の場所で良く釣れているから、そこに移動する、早く糸を巻き上げろ、と怒鳴っているようです。

 

  船頭を怒らせてしまい、Mさんに悪いと思いながらも、となりの人と糸がからまり、なかなか巻き上げることができませんでした。

 

  そのうち、波が大きくなり、僕は船底にノビてしまいました。釣り宿に泊まり、朝3時に起きて、ここまで来ましたが、海釣りは容易ではありません。

 

  その後、Mさんは、部長を2年ほど勤め、定年で神奈川県の山間に隠居し、毎日、渓流釣りを楽しんでいたそうです。そして、存分に楽しんでから、永眠されました。

 

  もちろん、釣り道具一式を持って!