回転競技
ようやく湯田中から「発哺(ほっぽ)」にたどり着き、これから乗るリフトを降りれば、合宿所、「高天原山荘」(たかまがはら さんそう)が待っています。
高校時代に始めたスキーが楽しく、大学ではスキー・クラブに入り、冬の合宿に来ました。場所は、長野県の志賀高原です。
スラロームと言われる、「回転競技」の練習をします。
斜面に2本づつセットされた旗竿の間を、左右にカーブしながら滑り降り、タイムを競います。2本の旗竿を3メートル間隔に立てたものが門のようなので、「旗門」といいます。地元の、スキー名人に頼み、「旗門」をセットしてもらいます。スタートからゴールまで、10程の旗門が左右交互にセットされます。
旗竿を回るときは、スキーのエッジを立ててブレーキをかけないと、スピードが出過ぎて曲がりきれず、次の旗門を通り越し、コース・アウトしてしまいます。しかし、ブレーキをかけ過ぎると、スピードが落ち、タイム・ロスします。
「回転」と、「大回転」、「スーパー大回転」、「滑降」を、まとめてアルペン・スキーと言います。
アルペン・スキーでは、ヨーロッパ勢が強く、アメリカもかないません。
日本は最近、決勝にも出られません。
同じような体格、同じような道具で、どうしてこんなにタイム差が出るのか。皆、1〜2歳からスキーを始めるのに、ものすごく差がつきます。
エッジングを少なくし、スピードを落とさずに回転する技術、そして滑降では、時速100kmのスピードに負けない「勇気」が必要です。転倒すれば、骨折の重傷か、命さえ危ないのですから、恐怖心との闘いです。
日本には、科学的に教えてくれる、優秀なコーチが必要でしょう。
とんでもない
「妊娠している」、を上品な英語で何と言いますか?
「She is having a baby. 」より、もっと上品な表現は?
僕はかつて、オーストラリア人の老婦人から、英国流の英語を習っていました。1975年頃、場所は、メルボルンです。
老婦人と世間話をしていて、僕は「pregnant」(妊娠している)という言葉を使いました。その瞬間、老婦人は、「Oh! No!」と大げさにダメ出ししました。「You should never use that word. 」(そんな言葉を使ってはいけません。)
要するに、そんな露骨な言葉は決してご婦人の前では使ってはいけない、というのです。僕はかなり驚きました。でも先生が言うのですから、仕方がありません。
「She is having a baby.」でも、まだ直接的で、ダメだと言います。
「She is in the family way.」と言うのだそうです。
「家族が増える」と言え、という訳です。なるほど、日本でもTVで「今度、家族が増えます」と言うのを聞いたことがあります。
その後、アメリカ人に、「She is in the family way.」と言うか、と聞いてみたら、ポカンとしていました。
最近のアメリカ映画を見ると、例の「Fu〇k」のオンパレードです。映倫コードでカットしていたら、映画にならないのでしょうね。
あのオーストラリア人の老婦人が生きていたら、映画館から救急車です。
早慶戦
早慶戦に来ました。今季の優勝を決める、伝統の一戦です。
神宮球場は満員。OBも大勢来ています。3塁側とレフトは慶應の陣地、
1塁側とライトは早稲田です。応援団は、それぞれ内野と外野に陣取ります。
いつも感じるのですが、全体として、応援がよく揃っているのは早稲田です。一方、チア・リーダーたちは、慶應の方がスマートで美人です。
7回には、両校応援団によるエールの交換があります。慶應の大きな三色旗と早稲田のえんじ色の大きな校旗が、互いに頭を下げて礼をします。慶應は「若き血」を歌います。応援団の「旗手」は、何十キロという重さに耐えます。
今日は、あっぱれ、我が慶應が宿敵の早稲田に勝ちました。優勝です。学生時代なら、銀座に繰り出し、「ライオン」(ビアホール)で乾杯に次ぐ乾杯です。今日は、そのとき一緒に飲んだゼミの友人たちを誘って、来ています。
最高に気持ちがいいです。改装された球場は、昔に較べ、ずいぶん美しくなり、また空気がとても澄んでいます。神宮の森で浄化されているのでしょうか。
さらに、選手たちの元気なかけ声と、キャッチボールでピシッ、パシッとグラブでボールを受ける音、カシーンという、木のバットがボールを弾き飛ばす鋭い音が聞けるのが醍醐味です。(注:木のバットは「カシーン」、金属製は「カキーン」です)
スポーツというのは、生で観るものだと改めて感じます。しかしクロス・プレーや、ちょっとよそ見していたときのホームランなどは、テレビのように、
VTRでリプレイしてくれるといいのに、と思ってしまいます。
試合が終わり、塾歌を歌いますが、いつも胸が熱くなり、途中で歌えなくなってしまいます。実に良い歌だと思います。応援歌「若き血」もいいです。
良い母校です。
ライカ・カメラ
「ライカ」カメラには、人を虜にする不思議な力があります。
2006年のある日、僕も虜になりました。
それから2年間、来る日も来る日も「ライカ」でした。
それまでの僕は、写真はデジカメで、記念と記録のために撮るだけでした。それが急に「ライカ」という、ドイツ製のカメラを持ち、毎日のように、あちこち出歩き、写真を撮るようになりました。
カメラは、もちろん中古で、「II f」と、「M3」の2台。レンズも2〜3本買いました。いずれも、何十年も前に製造されたものです。ライカに関する本や写真集も、たくさん買いました。全部で軽く100万円は使ったと思います。
何故急にそうなったのか、まったく原因不明です。夢を見た感じです。
ライカはドイツで小型カメラとして開発され、1925年に市販第1号の「A型」が発売されました。それから歴史は現在まで続き、最新の「M10」は、新品で100万円くらいします。
ライカは芸術品で、手に取ると手触りや重さに感動し、ファインダーを覗くと、被写体がクリアに見える美しさに感動し、シャッターを切れば、その感触と音に感動します。撮った写真には、独特の味があり、その美しさに感動します。
ライカは1台ずつ職人が組み立てる「作品」です。
今は、「II f」1台だけが残り、飾っています。見れば見るほど、美しいです。
厳しいコース
日本でボギー・ペースで回る人は、アメリカでは、ダブル・ボギー・ペースも覚悟しなければならないでしょう。ゴルフの話です。
シアトルの、ある名門コースを回りましたが、難しかったです。
Par 4の右ドッグ・レッグ、380ヤード。ティーショットを200ヤードは飛ばさないと、ドッグ・レッグに届きません。曲がり角には、高さ15メートルの大木がそびえ立っています。したがい、180ヤードしか打てない僕は、セカンド・ショットを、9番アイアンで打ち、レッグを曲がるだけです。
そこからグリーンまではまだ150ヤード以上あり、たくさんのバンカーが待っていますから、3オンは容易ではなく、4オンになります。
ロス・アンジェルスでは、グリーンが難しくて有名なコースに行きました。なるほど、グリーンは目を錯覚させるような、複雑な傾斜の組み合わせになっており、右へ切れるはずが左へ、上りと思えば下り、の連続で、平均5パットはしました。スコア・カードを破りたくなりました。
駐在員がこのコースにお連れした偉いさんは、怒ってしまったそうです。
ボストンでは、全米オープンが終わったばかりのコースを見せてもらいました。最終ホールのグリーンですが、驚きました。僕の身長をはるかに上回る傾斜です。この傾斜で、どこに打ったらボールが止まるのか、と思いました。
松山英樹プロがアメリカのツアーで頑張っていますが、すごいことです。
並の選手なら、18ホール回っただけで、「神経」をやられ、後遺症に悩まされるでしょう。あのジャンボ尾崎も、アメリカのコースにはまったく刃が立ちませんでした。
アメリカの一流コース、それは厳しいです。
お金持ち
先ほどから、僕の左手あたりをしきりに見ている人がいます。正面に座っているB社長です。
Bさんは、事業に成功し、高価なものばかり身につけていますが、どうも
僕の腕時計が気になるらしいのです。
僕の腕時計は、その辺で買った5千円のものでした。ついにB社長が
「それ、ロレックスの○○?」と聞いてきました。僕は、そんなわけないでしょと思いながら、「いえ、違います。これはただの安物です。」と答えるほかあり
ませんでした。
お金は、多く持つほど、不幸になるようです。
1億円持つと、今度は10億円持っていない自分が不幸だと思います。高価なものを手に入れても、もっと高価なものを手に入れるまでは不幸です。お金を失うのではないか、いつ盗まれるのかと、心配で、不幸です。
お金のために、煩わしさが増えます。節税の方法、遺産相続の方法、株価の見通し、などを考えなければなりません。
お金を求めて、人が集まってきます。人を信用できなくなります。
分相応の生活をしていれば、気楽で、楽しいです。ラーメンの汁で服を汚しても、洗えば平気です。ゴム草履をはいたまま、美味しいものを食べにいけます。
まわりには、これは10万円した、これは100万円したと、自慢話ばかりする人はいません。
僕は、うつになったことがあります。原因不明ですが、そういえば持ち慣れない大金を持ったときでした。お金を増やそうとして、失ったときでした。
「お金」より、「人情」がいいです。
箱根に避難
箱根といえば、僕と同じキリスト教会の会員で、今は亡き、大先輩のKさんを思い出します。
Kさんは完全に奥さんの尻にしかれていたので、毎年夏になると1週間、箱根に「避難」しました。「女王さま」による「支配」から逃れて、少しでも、
心身を休めるため、仙石原にある会社の保養寮で1週間過ごすのです。これは、奥さん「公認」だったそうです。
Kさんは、教会の役員に長年選ばれる立派な人でしたが、奥様があまりにも、「独裁的」でした。あるとき、日曜礼拝のあと、Kさんを昼食にお誘いしたところ、「予定は家内が決めるので」と、奥さんが現れるまで待つことになりました。
その奥様は、教会の「情報センター」で、あらゆる情報を集めていました。たとえば、「昨日の午後、駐車場に車がなかったですけれど、どこにお出かけでしたの?」という具合に。
牧師に話したら、「僕なんか、『昨日、ガレージにいつもと逆方向に車が停めてありましたけれど、どうしてですか?』と聞かれましたよ。」
別の教会員のH夫人は、亭主関白のご主人に献身的につくしていました。ご主人が脱いだ靴は必ず揃える、割箸は割って渡す、誰の目にも、絵に描いたような世話女房に見えました。
しかしH夫人は、尽くしているようで、実は完全にご主人を牛耳っていたようです。H 氏は、有名な会社の役員だった人ですが、完璧に仕事をする奥様に面倒をみられ、頭が上がらなかったようです。
あるとき、教会の男性だけの飲み会で、H氏が、「死ぬ前に、1度だけ、女房をどなりつけてやりたい。」と言ったので、驚きました。
人間は、複雑ですね。