「イワタ」と「風月堂」
戦後の鎌倉で、喫茶店といえば、「イワタ」と「風月堂」でした。
「イワタ」は今でも健在、小町通りで、「特厚」のホットケーキを「売り」にしています。「風月堂」は、ご主人がフランスでケーキ修行をしてきたとかで、タイル張りの天井の高い、「洋風」の店でした。由比ヶ浜通りにありましたが、随分以前になくなりました。
僕の子供の頃にあった店が、今どうなっているか、見てみましょう。
小町通りのおもちゃ屋「チョッペイ」(千代平)は健在。小町通りは以前、観光客は少なく、静かな生活道路で、牛乳屋、肉屋、時計屋、畳屋などの生活の店があり、あとは民家だったと思います。
本屋では、島森書店があります。映画館「市民座」は、今、スルガ銀行です。よく西部劇全盛時代です。よく観にいきました。郵便局は建て替えましたが、同じところ。婦人子供会館は、たしか医院でした。ギリシャ風の庭は、今も面影が残っています。東口は、「表駅」と呼ばれました。「早見美容学校」は健在。
西口は、「裏駅」でした。駅前近くには「ローン・テニス・クラブ」があり、上皇さまが皇太子時代、ときどきプレーされました。今は、紀伊國屋です。市役所は当時、表駅側の、島森書店と二の鳥居(段葛)との間にありました。
江ノ電は、大勢の人が利用していますが、僕の大学生の頃は、たしか廃線の方針が決まっていたと思います。バスに押され、経営が大赤字だったのです。それが、現在のようになったのは、観光客が増えたのと、七里ヶ浜の分譲地などができ、通勤客が増えたためだと思います。最近、5月の連休には、混みすぎて江ノ電に乗れない地元住民が悲鳴をあげていますね。
江ノ電の終点は、二の鳥居の手前でした。和田塚の方から来ると、下馬四つ角を左折し、横須賀線のガードをくぐり、島森書店の前を通り、当時の市役所の前が終点でした。
裏駅(西口)前に、「やのや」という婦人服店があり、母はそこの女店主とよく話をしていました。小さなビルを建て直し、今でも店はあるようです。
由比ヶ浜海岸は、松林がうっそうと繁っており、真っ白な「砂丘」で滑り台をして遊びました。夏になると、日曜日に、表駅(東口)から由比ヶ浜まで、海水浴客がゾロゾロと列になって歩いていました。1953年に国道134号線が通る前です。
16年で40億円
最近観た、テレビのドキュメンタリーです。
ある人、Yさんとします、は亡父が残した40億円の借金を、16年間で返済したという話です。
父親は、バブルのとき、銀行から多額の借金をして、居酒屋やカラオケ店など、数軒を持つという、事業拡大をしました。
しかしバブルがはじけ、40億円の借金を残し、父親は亡くなりました。
母親が、連帯保証をしていたので、その母を助けるため、Yさんは、借金の返済をする決意をします。
それからがいばらの道でした。
店は客の入りが悪かったので、いろいろ試しますが、失敗します。
何度も、電車に飛び込みそうになります。
しかし、借金を返済しなければ、倒産すれば、多くの人に迷惑がかかる、という気持ちで、必死に頑張りました。
途中、店を他社に売ることも考えましたが、従業員から、皆が愛している店を他人に売るとは何ごとだ、といさめられ、頑張り続けます。
店は、女性や子どもの客を増やそうとして失敗したので、従来どおり、中年のサラリーマンに的を絞り、メニューをはじめ、すべてをそれに合わせたところ、大成功し、苦労しながらも、16年で40億円の借金を完済しました。
母親を苦しませるわけには行かない、従業員たちを放りだすわけにはいかない、という強いきもちがYさんを支えました。
Yさんは、「私」を捨て、母親や従業員という「公」のために働いたので、成功し、全員が幸せになりました。「公」は「私」に勝る、という好例です。
「公」か「私」か
「公」と「私」と、どちらが幸せか。
「公」に生きるのと、「私」に生きるのと、どちらが幸せか。
「公」とは、国、会社、社会、家族、などで、「私」は、自分です。
医者であれば、患者さんや病院のことが「公」で、出世して院長になる、が「私」です。
「公」に生きる医者は、患者さんが良くなると、幸せです。しかし、「私」に生きる医者は、院長になれないと不幸です。患者さんを治すのは出世のためです。
スーパー・ボランティアの尾畠春夫さんは、とても幸せそうです。
尾畠さんは、百パーセント、「公」に生きています。彼の場合、「公」とは、被災した人々を救うことです。社会の役に立つことです。
収入は、月5万5千円の国民年金だけです。生活費を切り詰め、愛用の軽自動車で、遠い被災地に出かけて、家財を整理したり、泥やがれきを片づけます。
市民税や、NHKの受診料を払う月は、食費が不足し、学校の校庭の隅に生えている雑草を食べたりするそうです。しかし、それを見た人がお弁当を差し入れてくれます。
自分で納得し、楽しく生きています。
尾畠さんは、魚屋を経営していたのですが、かねてから、65歳になったら、自分の好きなことをして暮らそう、と決めていました。
その頃、彼は四国八十八カ所のお遍路をします。途中、沿道の家々から、「お接待」を受けます。お遍路さんに、食事や宿泊を提供してくれるボランティアの人々です。
これに感動した尾畠さんは、あとの人生をボランティアで生きると決心します。
そして、魚屋をたたみ、国民年金だけでの、ボランティア生活です。
子どもたちは、独立しています。
奥さんは、家を出ましたが、尾畠さんはボランティアを続けています。
「コロナ」で変わる
「コロナ」で世の中が大きく変わってきています。
まず、「集団」から「個」への変化でしょう。
箱根の旅館では、個室露天風呂のついた部屋が大人気だそうです。
全館、個室露天風呂の旅館は、満員です。
「大浴場」は、脱衣場などでコロナに感染するリスクがあるため、敬遠されます。
もう1つは、「人間」から「ロボット」への変化です。
これは、いわゆる「機械化」で、人件費の節約になりますから、加速するでしょう。
「ユニクロ」では、買った商品を大きな箱にポンと入れると、合計金額が表示されるので、機械に支払います。そして横に置いてある紙袋に買ったものを入れ、終了です。
ごく一部のスーパーでも、レジが自動化されており、ユニクロのように、品物を置くと、合計金額が表示され、機械に支払います。
あるリゾート・ホテルでは、なるべく、お客様と従業員が接近しないように、ロボットが活躍しています。
お客様はホテルの玄関に到着すると、出迎えた「ロボット台車」に荷物を乗せます。チェックインが終わると、ロボ台車が荷物を部屋まで運んでくれます。
ルーム・サービスは、部屋の小さなロボットに音声で注文すると、ドアの外まで、ロボット・ボーイが運んできます。
医療機関では、ロボットが「コロナ検査」に活躍し始めています。これは理想的ですね。看護師や医師は安全なところから見守っていれば良いのです。
私が住んでいるところには、世界有数のロボット製造会社がありますが、これからますます忙しくなるでしょう。
高齢者の喜び
来年(2021年)から、みずほ銀行で、預金通帳1冊をつくるのに、1,100円を支払うことになります。
私は、別の銀行なので、詳しいことはわかりませんが、「みずほ」で新規に口座をつくる場合であり、70歳以上の人は、無料のようです。
みずほ銀行としては、毎年、1つの通帳につき、300円の印紙税を国に払う必要があり、通帳の製造費用などを合わせると、50億円以上かかるそうです。
そのため、顧客に「電子通帳」の利用を勧めているわけです。
私はすでに電子通帳でやっていますが、とても便利です。パソコンで入金や残高のチェック、そして振り込みができるので、大変便利です。銀行にいくのは、現金を引き出すときくらいですが、それも面倒なときは、コンビニで下ろします。
70歳以上が無料というのは有り難いです。
最近、高齢者の喜びを味わっています。
先日、スーパーの駐車場で、身障者用の隣りの便利な場所にある、高齢者用のスペースを利用し、良い気分でした。
私の場合、健康保険の負担も1割です。
幸い、私は元気で、パソコンが使えるので、アマゾンへの注文、確定申告、銀行取引をします。先日は、お上からの1人10万円の助成金、そして家内の個人事業の補助金、百万円も、すぐに手続きし、入金ができました。
7月からは、学生時代の友人8人で、俳句の会をつくり、毎月の句会を始めました。同じく7月から、小学校以来の「お絵かき」を始め、楽しくスケッチをしています。
それから、今年(2020年)の2月からエッセイを書き始め、現在、9月〆切りの懸賞エッセイを3本書いています。その他に2冊目となる本を執筆中で、毎日楽しくしています。
高齢者で、元気で、ディジタルであれば、喜びも倍加します。
アメリカに頼め
私は日頃、何かやりたければ、アメリカに頼め、と言っています。
日本国には、実力も、気力も、血も涙もないからです。
今日、2020年8月25日、北朝鮮に長年拉致されている、横田めぐみさんの母、横田早紀江さんが、アメリカの「駐日臨時代理大使」に面会しました。そして、日本人拉致被害者が1日も早く帰国できるように、協力を頼みました。
正解です。日本は、外国に誘拐された人を取り戻すことができません。
世界で、相手の国を黙らせ、何かできるのは、アメリカだけです。
日本が拉致被害者を返してもらう場合は、1人10億円ほど北朝鮮に要求されるでしょう。100人なら、1,000億円です。返してくれるなら、払いますが、そのカネが、「核ミサイル」に使われることが明らかなので、ダメなのです。
韓国も、たくさんの国民が北朝鮮に拉致されているのに、政府は知らん顔です。話題にすらしません。無視です。ひどいものですね。
小泉首相のとき、北朝鮮から数名が帰国しましたが、水面下で、大金を支払ったはずです。しかしもう、できません。世界が北朝鮮を「制裁」しているからです。
日本人を救出するには、アメリカ軍に頼むしかありません。
自衛隊は何もできません。
たとえば、外国で内戦が始まり、日本人が急いで帰国しなければならないときでも、
自衛隊機は救出に行けません。法律により、自衛隊は、「危険な」地域には行っては行けないからです。
安部首相は、何とか憲法を改正し、自衛隊が海外にいる日本人を救出できるようにしようとしましたが、その夢が実現することもなく、体調不良で引退しそうです。
無念だと思います。
野 菜
ここは山中湖と富士吉田の中間にある村です。
6年前に鎌倉から引っ越してきました。
今日は、引っ越してきた頃からお付き合いのある、ご近所のOさんのお宅に立ち寄り、
家庭菜園で作った野菜をたくさん頂き、庭のお花も頂いてきました。
Oさんのお宅は、広い家と、庭先の家庭菜園を合わせ、500坪くらいは、ありそうです。
ご主人は工務店と販売用のトウモロコシの畑を経営しています。それに加え、
朝夕、家庭菜園の世話をしています。
頂いた野菜は、レタス、なす、みょうが、きゅうり、モロヘイヤ、それから京都由来の緑色の唐辛子です。
スーパーで買う野菜とちがい、すごく新鮮さが長持ちします。レタスなど、いつまでも
シャキッとしています。
私の友人たちも、家庭菜園をしています。
1人は横浜に住み、長野県の松本に畑を借りて、家庭菜園をしています。
会社勤めの現役時代から、もう20年以上やっています。
数年前に松本を訪ね、コテージに1泊させてもらいました。
農家顔負けの本格的な畑で、ビニール・シートをかけたり、手間をかけて、
たくさんの野菜をつくっていました。どれも最高に美味しかったです。
横浜から何時間もかけて通うのですから、よほど好きなのでしょう。
もう1人は、横浜・みなとみらいのタワー・マンションに住み、
今年、リタイアすると同時に、近くに家庭菜園を借り、毎日通っているそうです。
自分で育てたものは、すごく美味しいそうです。
何より、野菜の成長を見るのが楽しく、やり甲斐があるのだそうです。
しかし、私は、野菜は、作るより、もらうほうが良いです。