maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

バーク大佐とキー・ワード

「人のため」

2011年3月11日、東日本大震災の当日、太平洋上を航行中の米空母「ロナルド・レーガン」の艦長室で、艦長トム・バーク大佐はテレビのニュースを見ていました。そして直ちに東日本の被災地の救援に向かうことを決意します。

 

同空母は、日本の南方1,300kmの海上を航行中でした。翌日の米国と韓国による合同軍事演習のためです。バーク艦長は、上司である空母艦隊の司令官に、日本の被災者の救援に向かう許可を願い出ました。艦隊司令は、直ちに許可し、同空母は航路を北に変更、日本に向かいました。

 

実はこのとき、2つの問題がありました。1つは、翌日の米韓合同演習の主役は同空母で、主役がいなくなることは、作戦に大きな支障をきたすことです。もう1つは、被災地に近づくことにより、同空母の乗組員が放射線被爆するリスクがあることでした。

 

この2つの大きな問題があるので、本来なら、艦隊司令は、太平洋軍司令官、あるいはさらに上の海軍トップから許可を得る必要がありました。

 

「あとのことは考えず」

しかし、その時間的な余裕はなく、艦隊司令とバーク艦長は、許可を待たずに、東日本救済に向かいました。

 

2人はあとのことは考えず、東日本各地で孤立している被災者を救うことを最優先しました。

自分がどうなるか、よりも、「人を救う」ことを優先しました。

 

翌日、三陸沖に到着した空母「ロナルド・レーガン」は、海上自衛隊と連携しながら、孤立集落に、食糧、水、衣料、医薬品などの救援物資をヘリコプターで届けました。

(以上、ネット情報を参照しました)

 

しかし、艦隊司令とバーク艦長には、許可を得ずに作戦を変更したというルール違反により、後日、軍からとがめられるリスクがありました。最悪、2人の海軍キャリアは終わります。

 

2人に、なぜ自分の人生よりも、日本人の救済を優先させたか理由を尋ねても、おそらく「わからない」という返事が返ってくるでしょう。実際、ご本人にもわからないのです。 しかし、多くの人の役に立てたことで、バーク大佐は幸せだと思います。