maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

地元紙は頑張った

  「福島民友新聞」は、あの東日本大震災で被災しながらも、1日も休まずに発行を続け、しかも毎朝、配達しました。

 

   大震災のあった2011年3月11日の夜、自家発電の灯りの下で紙面をつくり、幸いにも倒壊を免れた郡山の工場で印刷し、翌朝には無事、朝刊を配達しました。

 

   津波が目前に迫ったとき、逃げるか、留まるか、一瞬の判断で、生死が分かれます。「福島民友新聞」の記者にも犠牲者が出ました。

 

   遺された記者たちが、オートバイで走り回り、取材した記事が、翌朝、被災者に配達されました。

 

   これには、2つの大きな意味があります。

1つ目は、被災者たちに、貴重な情報を、毎日届けたこと。

2つ目は、明治以来の新聞を1日も休刊しなかったこと。

 

   明治28年の創刊以来、1日も休まずに発行してきた、「福島民友新聞」は、第38341号という「紙齢」を守りました。

 

   このドラマは、「記者たちは海に向かった」(角田隆将著)という本になりました。

 

   この本を読んで、新聞の「紙齢」という言葉を初めて知りました。「紙齢」は創刊以来の「号数」を示し、これを守ることは、新聞人にとり「命」であり、それを途切れさせることは、「死」に等しいといいます。どの新聞も、この「紙齢」が、1面の右上に必ず記されています。