HIGUCHIを守れ
ユダヤの恩人として、エルサレムの「ゴールデン・ブック」にその名が記されている、樋口季一郎中将の名は、ほとんど知られていません。
1938年、ナチスの弾圧から逃れ、ソ連を通過し、満州国境にたどり着いた数千人のユダヤ人を、樋口中将は救いました。
日本の許可証がなければ、オトポールに着いたユダヤ人たちは、日本支配下の満州に入ることができません。ソ満国境の町、酷寒の中、餓死者や凍死者も出る事態となっています。
ユダヤ代表のカウフマンは必死で、彼らをハルピンに行かせて欲しいと、日本側に緊急要請します。
外務省、陸軍省、関東軍では反対が強かったのですが、樋口は、クビを覚悟で、人道を優先する腹を決め、東条英機、関東軍参謀長を説得します。
2日後、ユダヤ難民は特別列車で、ハルピンに到着しました。
樋口は、陸軍大学卒の超エリート軍人であり、ハルピンで対ソ諜報活動をしていました。
戦後、ソ連は、米占領下の札幌にいた樋口を、戦犯としてソ連に引き渡すよう要求しました。戦時中、対ソ諜報活動をしたこと、さらに終戦直前、北方領土の司令官として、ソ連軍を苦しめたことも理由だったのでしょう。
しかし、マッカーサー元帥が率いるGHQは、このソ連の要求を拒否しました。あとで分かったことですが、ニューヨークに本部をおく、「世界ユダヤ協会」が、大恩人の樋口を守るために、米国防総省を動かしたようです。
日本軍に、樋口のような人がいたことは、記憶されるべきです。
以上は、新潟県立大学の袴田茂樹教授が、2017年9月26日、産経新聞に投稿した記事をもとにしたものです。
了
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