交流
「エッセイを 送った友より便りあり 長きの無沙汰 一気に埋まる」
人生で初めて詠んだ、和歌、といか季語もない、現代和歌のようなものですが、まさにこの和歌のようなことが現実に起きています。
今週は、大学時代の友人3人から、手紙やメールをもらいました。
この3人とは、同じクラスで、短い会話は交わしたものの、じっくり話したことはありませんでした。しかし僕が興味をもっていた人々です。クラス会でも、
挨拶や、短い会話はするのですが、なかなかそれ以上に行けません。
それで、お近づきにと、エッセイ集をお送りしたら、手紙やメールを頂いたというわけです。
1人の手紙には、これまでのキャリアや、現在の活動などが書いてありました。
1人の手紙には、自分も僕に近づきたかったけれど、なかなかできなかったことや、生い立ち、性格などが書いてありました。
1人のメールには、エッセイを書くのは大変ではないか、と書いてあったので、そこから始まり、メールを3通ほど、やりとりしました。
いずれも、年賀状では味わうことのできない、1層か2層深いところでの交流ができて、「文通の良さ」を味わいました。
さて、2020年2月20日から書き始めたエッセイは、これで第6集となりました。1日1話のペースで書いていると、毎月1冊、1年で12冊ものエッセイ集ができてしまいます。僕は、話題は「無限」にあるから、書けますが、それでは家中がエッセイ集で埋まってしまいます。
さて、どうしたら良いか、今考えているところです。