maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

早慶戦

世にいう、「最後の早慶戦」。

 

  学徒出陣を前に、学生たちに贈った、壮行試合です。

 

  万感の思いを胸に、小泉信三慶應義塾塾長は、学生席に座りました。

 

  1943年10月16日、太平洋戦争の最中です。今日の試合までこぎ着けるのは大変でした。

 

  東京六大学野球は、実は、この年の4月に、旧文部省により解散させられていました。野球は、アメリカから来た、「敵性スポーツ」、というわけです。

 

  こうした中、学生の徴兵、学徒出陣が近づき、慶應は、餞(はなむけ)として、早慶戦を行うことを決意し、早稲田に申し入れます。

 

  早稲田の、野球部は応じましたが、大学当局が国に気を遣い、試合当日の朝まで難色を示します。

 

  早稲田さんよ、これは、「貸し」でっせ!

 

  煮え切らない早稲田当局を無視し、試合は強行されます。残念ながら、神宮球場ではなく、早稲田の戸塚球場で、観客なしで行われました。

 

  しかし、立派な壮行試合です。

 

  この試合を実現させたのは、小泉信三先生の、戦争にいく学生に対する熱い思いと、福沢諭吉翁から受け継いだ、「独立自尊」の精神だと思います。

 

  出陣し、お国に命は捧げるが、大学とスポーツの「独立」は守る。信三先生は立派でした。

 

  慶應の三田キャンパスに、「還らざる学友の碑」があるそうです。                                      今度キャンパスに行ったら、お参りします。