maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

台湾その複雑さ

 1983年のある日、台北の日本人小学校の校庭では、運動会が行われていました。台北に駐在している、僕の子供たちも走っています。

 

グラウンドの一角には、公安の係官が、数名陣取り、日本人がテロを起こさないか、監視しています。当時はまだ「戒厳令」が布かれており、日本人の集会には、公安がきました。台湾では、まだ「日中戦争」をしているのか?どうなっているんだ、と思いました。

 

1945年に終戦。日本は50年間の台湾統治を終わり、帰国します。その頃、中国大陸では、自由軍(蒋介石の国民党)と共産軍(毛沢東共産党)が内戦しており、結局「共産軍」が勝ちます。

 

負けた自由軍は、故宮博物館の宝物を持って、台湾に逃げ、「我々は、

台湾に『疎開』したが、まだ、戦争は終わっていない。大陸は我々の『中華民国』(自由中国)であり、首都は『南京』だ」と宣言します。これが1949年です。

 

1983年になっても、僕が日本から送った引っ越し荷物の「世界地図」に『中華人民共和国』(共産中国)と書いてあるのは「間違いである」ということで、

税関に没収されました。

 

台湾の人にしてみれば、「うちらは、いったいどっちの中国なんだ」「日本統治時代の方がよほど良かった」というのです。

 

大陸から逃げてきた、自由中国の疎開政府は、自分たちはすぐ大陸に帰ると公言し、公共投資はほとんどしませんでした。僕がいた当時、国会は、日本が建てた「高等女学校」の建物を、そのまま使っていました。講堂が本会議室で、

教室が委員会室でした。老朽化して、ボロボロ、ガタガタでした。

 

台北駅、南北に走る鉄道、総督府台湾大学、等々、日本がつくった公共物をそのまま使っていました。

 

台湾のパスポートは、国連にない「中華民国」となっており、日米でも使えません。通用するのは、世界で十数カ国だけです。良く聞かない国ばかりです。

 

今、中共は、「台湾を武力でも制圧する」と言っています。それに対し、アメリカは、「これまで台湾が中共の一部であったことはない、現在も違う」と主張しています。

台湾が香港のようになるのか、アメリカが阻止するのか、他人事ではありません。注目です。