maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

勝海舟

坂本龍馬西郷隆盛とくれば、私の大好きな勝海舟のことを書かないわけにはいきませんね。

 

この人も、百パーセント、天下のために働いた人です。

 

生涯、自分に正直に、わがままに生きました。それに、毒舌だったので、嫌われ者でしたが、幕末における、幕府側の実力ナンバーワンの人物で、事実上のリーダーでした。

 

西郷隆盛と直談判し、江戸城無血開城に成功した、明治維新の立役者の1人です。

 

何回も幕府から「クビ」になりました。勝は、「生意気」で、言いたい放題でしたので、いつも幕府から睨まれていましたが、非常な勉強家で、蘭学の大家であり、オランダ語ができるので、オランダ海軍から航海術などを学んでいました。

 

それで、幕府の要請により、日本海軍を創設しました。

 

勝が咸臨丸で渡米し、帰国すると、幕府の老中から、アメリカはどうであったか聞かれます。それに対し、勝は、「あちらでは、日本と違い、有能な者が政治を行っています」などと平気で言うものですから、何回も幕府に「謹慎」させられます。そうすると、半年も1年も、家から一歩も出られません。

 

また刺客に「斬られ」そうになりますが、切り抜けました。斬られなかったのは、少年・青年時代に厳しい剣術修行をし、免許皆伝になっていましたから、斬り合いになる前に、相手が勝の気合いに圧倒され、逃げ出したのかもしれません。

 

勝は幸せのキーワーのかたまりのような人です。

 

志をたて、強い力に背中を押されながら、文武を修め、その実力をバックに言いたい放題、やりたい放題でしたが、夢である近代日本の誕生に貢献しました。幕府は、困ると、勝を登用しました。他に、勝ほどの人物がいなかったためです。

 

勝は人情に厚く、勝が「クビ」にした最後の将軍、徳川慶喜は、勝の運動により、「公爵」の位を与えられ、名誉回復しました。勝は、他にも多くの人助けをしたようです。

 

勝は、最下級の武士の家に生まれたので、室内の板をはがして燃やし、飯を炊くほど貧乏でしたが、明治の世には出世して「伯爵」になりました。幕府の圧力に負けず、最後まで「自分」を貫き、幸せだったと思います。

西郷隆盛

西郷隆盛も、人気がありますね。

 

薩摩藩(鹿児島県)出身、幕末の英雄、明治維新の立役者の一人です。

 

西郷は江戸城に攻め込もうとしますが、勝海舟に説得され、無血開城に合意します。

 

ここまでは、日の出の勢いでしたが、その後、人生が微妙に変わります。

 

西郷は、近代日本の誕生により失業する、武士階級を救おうとします。

 

しかし、盟友、大久保利通が率いる新政府は、没落武士階級に冷たい。

 

西郷は、贅沢三昧、汚職まみれの新政府に見切りをつけ、鹿児島に帰り、狩りや農業の毎日を送ります。

 

この頃、不満のたまる薩摩藩の旧武士たちが、新政府への抗議に立ち上がり、西郷をリーダーとして担ぎます。

 

そして、抗議のために東京に向かう西郷の軍勢は、意に反し、新政府により、「反乱軍」との烙印を押されました。西郷軍は大久保が派遣した政府軍に敗れ、西郷は九州を出ることなく、討ち死にします。49歳でした。

 

西郷は、自分に正直で、清廉潔白、淡泊な人であったため、明治政府に留まることなく下野しましたが、もし、総理大臣でもやっていたら、日本国はもっと違った国としてスタートしていたと思います。

 

西郷は、最後まで「私心」がなく、カネや地位、権力などには目もくれず、天下のために働いたので、立派な「公人」ですが、残念ながら、反乱軍の将ということで、靖国神社には祀られていません。

 

西郷は、自分の「信念」を貫いたため、藩主に睨まれ、2度も島流しにされました。

 

しかし、近代日本を生んだ西郷の巨大な足跡は現在も燦然と輝いており、上野の銅像を訪れる人は後を絶たず、大久保利通などとは比べものにならない人気です。

 

今、「英雄」西郷は、天国で、犬を連れ、のんびりと狩りでもしていることでしょう。

坂本龍馬

日本の歴史の中で、坂本龍馬は、「公」のために生きた人として特筆されますね。

 

近代日本の誕生に命を捧げ、出世やカネには目もくれませんでした。

 

文字通り「命がけ」で、志半ばにして刺客に斬られ、若くしてこの世を去りました。

 

お龍という奥さんはいましたが、龍馬が家にいる時間はほとんどありません。

 

ひたすら、街道を歩いているような人生でした。

 

敵同士だった、薩摩藩(鹿児島県)と長州藩山口県)を仲直りさせ、幕府の時代を終わらせて、近代日本の誕生に、非常に大きな貢献をしました。

 

有名な「船中八策」では、議会制度など、民主主義を取り入れた近代日本の骨格を示しました。

 

長崎に会社をつくり、貿易もしました。「貿易立国」の先駆者です。

 

残念ながら、志半ばで絶命しましたが、龍馬はいまだに、日本でもっとも人気のある人物のひとりです。そして「幸せ」のキーワードに溢れた人物です。

 

夢を抱いた龍馬は、土佐藩を脱走しました。捕まれば、重く処罰されます。

 

あとのことは考えず、強い「力」に背中を押され、「自分に正直」に行動したのだと思います。これは、大事なキーワードです。

 

「捨て身」の迫力で、西郷隆盛はじめ、多くの「大物」を説得し、「大仕事」をしました。「私欲」がないので、多くの人が龍馬を信用し、力を貸しました。

 

龍馬は、大勢の同志に助けられ、明治が始まる前年まで頑張りました。天国でニコニコしていることでしょう。

幸せはきます

「幸せ」とはなんでしょうね。

 

「幸せ」の瞬間とは、「自分」になった瞬間だと思います。

 

「自分」として生きている人は幸せです。

 

ゴッホ(1853~1890)は、若い頃、画商で働いたり、聖職者を志しますが、

自分は「絵を描く」人だとわかり、絵を描き始めました。

 

生きている間に、絵はたった1枚しか売れませんでしたが、

 

「絵を描く人間」として生きたので、幸せな人生だったといえます。

 

「幸せ」はおカネではありません。

 

よく、「自分探し」の旅をする、といいますが、

 

同じ経験をした私には、よくわかります。

 

私は、77歳まで、自分探しの旅をしていました。

 

自分は「何をする」人間なのか、

 

「何をするために」生まれてきたのか、

 

自分が「生きている」意味は何か、

 

それがわかった瞬間が、「幸せ」の瞬間でしょう。

 

その瞬間はいつくるか、理屈では説明できません。

 

17歳か、47歳か、77歳か、107歳か、わかりませんが、突然、来ます。

 

私の場合は、77歳で来ました。

その瞬間

スーパー・ボランティアの尾畠春夫さんは、

四国八十八カ所のお遍路の途中、沿道の住民から「お接待」を受け、

その瞬間、「ボランティアで生きよう」と決めました。

 

遠山正瑛(せいえい)さんは、28歳で中国・内モンゴルに行き、農地が砂漠に変わっていくのを見た、その瞬間、「ここを農地に戻そう」と決めました。

 

杉原千畝(ちうね)さんは、大勢のユダヤ人が毎日、領事館の塀の外にたたずみ、必死の表情で懇願する姿を見て、「人間の命を救おう」ときめました。

 

ビートたけしは、転職を重ねていましたが、ある瞬間、「芸人になる」と決めました。

 

大関照ノ富士は、2年半ぶりに、まるで別人のような鬼の形相で、地獄から這い上がり、晴れ舞台にカムバック、次の瞬間、「優勝」していました。

 

VHS逆転王、日本ビクターの高野鎮雄は、その瞬間、「家庭用VHS」をモノにする、と決めていました。

 

イチローは、その瞬間、誰が何と言おうと、自分は「振り子打法」でいくと決めていました。

 

グレン・ミラーは、楽団員の事故のため、徹夜で編曲し直していた、その瞬間、「夢のサウンド」を見つけました。

 

ポール・ラッシュ博士は、その瞬間、日本に「骨を埋める」、と決めていました。

 

ドナルド・キーン博士は、その瞬間、「日本人」になる、と決めました。

 

この人たちに、「どういう理由で、そうなったのですか?」

と聞いても、「理由も何もない」、「気がついたら、そうしていた」、と答えるでしょう。

 

人生いつ、何が起きるか、予測できません。

しかし、幸せになりたいと思っていれば、

あるとき突然の強風が吹き、背中を強く押します。

あとは、その幸せの風に乗って、

空を飛び続けるだけです。

やってみなけりゃ

何ごとも、やってみなけりゃ、わかりませんね。

 

結果を知っているのは、神様だけですから。

 

商品は、売ってみなけりゃ、わからないのです。

これは売れるだろうと思ってつくったモノが

ぜんぜん売れなかったり、

あまり期待していなかったモノがヒットしたり、

やってみなけりゃ、わかりません。

 

プロ野球の場合、ドラフト1位に指名して獲った選手が

鳴かず飛ばず、おまけに怪我でベンチ。

ところが、安くひろった選手が大活躍。

こんなことはしょっちゅうです。

 

人生、何ごとも、やってみなけりゃわかりません。

やらないと、何も起きません。

やってみて、ダメだったら、止めて、

別のことを試します。

試行錯誤のくり返しです。

 

プロの講演者も、その日の聴衆に受けるかどうか、

やってみなけりゃ、わからないのです。

 

何年も前になりますが、ある若い尼僧の講演会にいきました。

その尼僧は、「今日は、『A』のことについて、お話しします」、

といって話し始めました。

しかし、その直後、「あ、やめましょう」といってやめてしまいました。

そして、「皆さんは、『A』には興味がないようですから、

今日は『B』についてお話しします」といって、

平然と話題を変えました。

聴衆の反応ですぐ変えたのです。

 

それは、見事なものでした。すごい講演者だと思いました。

そして、話は面白かったです。

このままでは

「このままでは終わりたくない」。「・・・終わらないつもり」。

 

それでいいです。私もそうでした。

 

自分のこれまでの人生、全然、大したことない。

 

しかし、何かわからないけれど、

 

自分にはもっと何かできる気がする。

 

有名なアメリカの黒人歌手、ナット・キング・コール (1919〜1965) は

 

「モナ・リサ」という曲で次のように歌っています。

 

「あなたの家のドアの前に、たくさんの『夢』が置かれてきました」

 

「しかし、あなたはドアを開けませんでした」

 

「その『夢』は、ずっとそこに置かれたまま、死んでいきました」

 

という歌です。大好きな曲です。

 

しかし、「夢」は死にません。

 

「このままでは終わらない」と思っていれば、

 

誰でもいつか、偶然、ドアを開けます。

 

そこに、「夢」の包みが置いてあります。

 

その包みを開けた瞬間から、

 

幸せへの道が、始まります。