maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

大統領選挙

アメリカ大統領選挙が近づき、共和党のトランプと民主党のバイデンが熾烈な闘いを繰り広げています。

保守のトランプ  VS リベラルのバイデンです。

トランプは、10月1日にコロナに感染、3日間入院し、投薬、治療をして、出てきました。

元気に回復し、投薬による抗体ができたようです。

しかしホワイト・ハウスでは集団感染がおき、23人の関係者が感染したといわれます。

ホワイト・ハウスの「集まり」を見ていると、まさに「三密」で、マスクをしていません。集団感染は当然おきるでしょう。

一方、バイデンの民主党は、全員がマスクし、選挙集会もリモートで行っています。

トランプには、マスクをせず、「三密コロナ」を恐れずにやっている理由があります。

もちろん、「強いリーダー」を印象づけることがあります。

同時に、「中共に負けない」、中国と闘って勝っている、と印象づけようとしていす。

トランプの図式は、コロナ=中共=バイデン です。

だから、トランプは、コロナ・中共民主党 連合と闘い、勝っている、

と印象づけようとしています。

トランプは、コロナを「中共ウィルス」と呼びます。コロナは中共から世界にばら撒かれ、しかも、最初の1〜2ヶ月間、「隠蔽」したので、アメリカをはじめ、世界中が被害を受けている、という主張です。

一方、バイデンのことを、息子を通じて、中共から巨額の資金をもらっている、つまり、バイデン=中共 であると主張しています。

それで、トランプ VS コロナ=中共=バイデン という構図になるのです。

今日の午前中、2020年10月8日、10時から、副大統領候補による討論会が放映されます。

超保守の共和党・ペンス副大統領と極左といわれる民主党・カマラ・ハリスの対決す。

今日は、「ののしり合い」はやめて欲しいものです。

英語も聴きたいので、翻訳は、同時通訳よりも、字幕スーパーのほうが、僕としては助かります。

それにしても、民主党には、故ジョン・F・ケネディ大統領のような、若々しい、夢のある、頼もしい候補者はいないのでしょうか。

バイデンは、もう80歳でしょう、無理ですよ。

バイデンは、民主党支持者からも、高齢のため、4年の任期は「もたない」といわれています。そんな候補者しかいないのでしょうか。

3億3千万の人口をもち、世界最高水準の大学をそろえるアメリカなら、人材はいくらでもいると思うのですが。

では、もうすぐ始まる、副大統領候補のディベイトを観ることにします。

 

 

ピンクから白へ

日本は今、「ピンク色」ですが、これを「白色」にしたいです。

 何のことかわからないと思います。

 「赤色」は、共産主義社会主義です。「青色」が右翼独裁の国です。私は、中間の「白色」の国が良いと思います。これは私が勝手につけた「色」です。

 太平洋戦争の直後、日本はアメリカにより、徹底的に「赤色」にされました。戦争前の日本は、「軍国主義」ですべてが「悪」、全否定です。「皇室」さえ、危うく否定されそうでした。

 その後、朝鮮戦争を経て、アメリカはソ連との冷戦に入り、「赤色」の日本を急ぎ「青色」にして、再軍備させ、味方の戦力にしようとしました。日本は、アメリカにより翻弄されました。

 現在の日本は、ようやくピンク色です。子供たちに「日本は悪い国」と教える「真っ赤」な日教組の組織率は20%以下になり、「全学連」や「革マル」による暴力は静まり、「国鉄」(JRの前身)によるストに毎朝悩まされることもなくなり、共産党の支持率は数%です。

 「白色」の国は、自分の国土と国民を防衛します。現在の日本は「ピンク色」なので、自衛隊は、憲法により、「戦う」ことができません。撃たれても、逃げるだけです。

 「ピンク色」なので、「日本学術会議」は「赤色」の学者が支配し、中国共産党と繋がっているらしく、中共からのカネが入ってきているようです。学者が中共の「千人計画」に参加し、中共からの研究費で、中共のための研究をしています。アメリカでは、「千人計画」への参加は禁止されています。

 自衛隊が戦うことができないので、「尖閣諸島」はいつでも中共に占領されます。憲法を修正して、防衛のために弾を撃てるようにしなければなりません。つまり、「白色」にしなければなりません。

 それから、「白色」にするためには、食糧と資源の「自給率」をあげないといけません。現在、いずれも70%ぐらい輸入に頼っています。たとえばアメリカの都合で、小麦が輸入できなくなったら、日本は「アウト」です。

 「白色」の国こそ、正常な独立国です。「赤色」で国民が幸せな国はありません。「青色」は独裁権力で、国民は悲惨です。「白色」が良いのです。

日本学術会議

日本学術会議が新たに推薦した105名の学者のうち、6名を、菅総理が任命しませんでした。

学術会議は、「政治が学問に介入した」「学問の自由の侵害だ」「6名を任命せよ」と菅総理に抗議し、それに野党が乗っている、という状況です。

 「日本学術会議」とは何か、知らないので、ネットのWikipediaで見てみました。

 それは、学者の集まりで、210名の会員がおり、任期は6年、3年ごとに半数が入れ替わります。

この10月1日に、新たに「105」名が任命される予定でしたが、菅総理が、そのうち「6」名を拒否したということです。

 学術会議は、いわゆる「左翼」の、社会主義的な学者が中心の団体になっています。

現体制が、終戦後、進駐軍(米軍)主導によりつくられたので、納得できます。1949年発足です。

 学術会議は、内閣府の特別機関の1つで、会員は国家公務員です。国から年に10億円の予算が出ます。

 学術会議は、日本の科学者の内外に対する代表機関です。

国の機関です。

 

目的は、「科学の向上をはかり」「行政・産業および国民生活に科学を反映・浸透させる」ことです。

 これをみれば、「科学」の団体ですが、実際には、かなり、「政治」的な団体になっています。

 「オリンピック」と「政治」を切り離せないように、「科学」と「政治」を切り離すことも不可能だと思います。

 [学術会議]

「戦争」には、「科学者」として反対する。

核兵器」には「科学者」として反対する。

「軍事の研究」には「科学者」として反対する。

 要するに、「反戦」団体です。

これは、太平洋戦争の反省からきています。

「国」は、尖閣諸島を中国に占領されないように、海外の紛争で取り残された「日本人」を救出できるように、国土と国民を防衛できるように、法律をつくり、解釈をかえよう、できれば憲法を改正しよう、としています。

 それに対し、国の機関である「学術会議」が、国会の場で、堂々と「反対演説」をする、という構図です。

 国と国の機関が対立する、非常に矛盾のある状態です。

 学術会議は、政治が学問の自由を侵害している、と主張していますが、学者の中に反対の意見をもつ人も少なくないようです。

 たとえば、天文学者の「戸谷友則」氏は、昨年、2019年、以下のように書きました。

 「1つの団体(日本学術会議)が権威をもって特定の考えをすべての人(研究者)に押しつけている。」

「各大学や機関は、学術会議の圧力に屈せず、研究者の自由と権利を守ることを第一に考えて行動して欲しいと願っている」

「このように非民主的で閉鎖的な組織が、日本の学術界で最高の権威をもってしまっていて、ひとたび(学術会議が)声明を出せば、

大学や学会を萎縮させ、研究者の自由が容易に奪われてしまう。

これは大変深刻な問題」。

 ようするに、学術会議が、「自由な研究」を妨げている、というのです。

 菅総理は、自民党で、「保守」の人です。

それに対し、学術会議は「革新」というか、「左翼」といったほうが良いでしょう。

菅総理が、学術会議を「改革」しようとしているので。

 学術会議は「左派」の学者に支配され、「保守」の学者は「抑圧」されているわけです。

 「学術会議」を、国の機関ではなく、「民間」の機関にしてはどうか、という意見もあります。

 私は、「戦争」に反対です。しかし、「社会主義」にも反対です。

 「防衛」には賛成です。自分の家の庭に他人が家を建てはじめたら、皆さんはどうしますか?防衛しなければ、闘わなければ、庭を占領されてしまいます。

 日本の社会主義者は、「防衛」さえ反対しています。

 学術会議のことは、この際、徹底的に議論して、

「正しい姿」にすべきでしょう。

コロナ

コロナにはたくさんの種類があります。

今日、YouTubeでお医者さんの話を聞き、

コロナ・ウィルスには、たくさんの種類があることが

わかりました。

 

コロナ・ウィルスは、日々「変異」しているそうです。

それで、S型、K型、G型、など、現在は多くの種類があるそうです。

 

先生によれば、

何月〜何月、中国から何型が日本に入ってきた。

何月〜何月、ヨーロッパから何型が入った。

など、調べて、わかっているそうです。

 

現在、怖いのは、G型、だそうです。

 

しかし、総じて、日本人は重症になりにくい状態に

なっているそうです。

 

別の先生は、日本人というか、アジア人は、

子どもの頃から、いろいろな「弱い」ウィルスに感染し、

「抗体」ができているので、重症になりにくい、

とも言います。

 

今回の私の経験を話します。

昨年の12月から今年の1月にかけ、

私はひどい「咳」がでました。

1ヶ月以上続きました。

発熱やだるさはなく、ただ咳がでました。

1晩だけ、咳が苦しくて、眠れなかったことがあります。

 

私から家内にうつり、家内も1ヶ月ほど、

咳がでました。

その間、3日間ほど、家内の娘と孫2人が

我が家に泊まりにきました。

しかし、3人とも、ついに何の症状もでませんでした。

 

やはり、私と家内は、軽症のコロナだったと思います。

 

先生によると、「抗体」は3ヶ月ほどしかもたないそうです。

だから、3ヶ月たつと、再感染の危険がありますから、

気をつける必要があります。

 

マスクのきめ細かさは、ウィルスの50倍なので、

ウィルス発散の防止効果は少ないが、

ウィルスを人にうつさないように気をつけている、

ことを示す意味で、精神的、社会的な効果が非常に大きい。

だから、医者として、マスクをつけることをすすめる、

ということです。

 

日本の場合、毎日3千人の人がいろいろな病気で

亡くなっています。

その中で、コロナによる死者は、1人とか数名なので、

数としては少ない。

ということです。

 

コロナによる重症化の危険は少ないというものの、

悪い条件が重なると、

志村けんさんのように、

あっという間に亡くなるかたもいます。

 

コロナは、長期化しますが、

自分の安全なライフ・スタイルをつくり、

危険なところに近寄らないようにすれば、

大丈夫です。

 

 

 

 

 

 

中国が大変なことに

中国が大変なことになっています。

 中国共産党により、中国が55年前の、「毛沢東」時代に逆戻りしようとしています。

 

1975に毛沢東による狂気の「文化大革命」の10年が終わりました。毛沢東により、中国の文化と経済は「死滅状態」でした。

 

そして1976年に「毛沢東」が死に、1978年に新たなリーダー「鄧小平」が改革開放路線を始めて以来、中国では民間企業が台頭し、ここ数年で、世界の先頭を走るまでに成長し、発展しました。

 

そして「習近平」は、2012年に、中共のリーダーになって以来、これまで民間企業が稼いだ、「超巨額」のカネを使い、世界を支配するという「野望」をもちました。

 

欧米はもちろん、アジア、アフリカをはじめ、世界中に「チャイナ・マネー」を「ばらまき」、世界中の国々を、政治、経済、文化、すべてにおいて中共支配下におきつつあります。

 

人口14億人の巨大な中国市場は、欧米企業、日韓企業にとり、世界最大の「お客様」となり、中国に「弱み」を握られることになりました。

 

ハリウッドの映画は、公開前に、中共の「検閲」を受け、中共が「気に入らない」ところはカットするようになりました。中国で公開できないと、映画の興業収入が足りず、儲からないので、仕方なく中共の言うままになっています。

 

オーストラリアは、数年前、「国ごと」、中共に「乗っ取られ」そうになりました。

 

ここで、アメリカのトランプ大統領が立ち上がり、中共の世界支配に対抗しました。

 

その結果、中共はカネが足りなくなってきました。当然です。

 

そして今、中共による、中国民間企業の「乗っ取り」、つまり「国有化」が始まりました。要するに、民間企業が儲けたカネを、中国共産党が「奪い取る」のです。これで、中国は55年前の「大失敗」、「悲惨」な時代に逆戻りするわけです。

 

中国内外で、習近平との闘いが始まりました。「逆戻り」と「世界支配」との闘いです。

 

そしてもう1つ、「人権侵害」という大問題があります。

 

中国と香港の民主活動家、、ウィグル人、内モンゴル人、チベット人、に対する人権「弾圧」、「臓器売買」、これで、中共は欧米諸国を完全に敵に回しました。

 

今、「中共は、中国ではない」というスローガンが、世界中に広まり始めました。

 

習近平が「断末魔」の様相になってきました。独裁者にお決まりの、「悲惨な最期」を迎える日も遠くないでしょう。

 

 

時 間

あるとき、友人の奥さんの葬式に行きました。

 僕は早めに葬儀場に着きましたが、すでに10名ほどの会葬者が来ていました。たくさん並んだパイプ椅子には、まだ誰も座っていません。見ると、葬儀社の人が高齢の女性に着席を勧めていました。

                                                                                             

しかしそのおばあちゃんは、遠慮しているらしく、座ろうとしません。おばあちゃんが座らないので、ほかの若い人たちが座れません。葬儀社の人が再びおばあちゃんに席を勧めますが、まだ座りません。

 

僕は若いし、しかも男、先に座るというわけにはいきません。会場全体がそういう雰囲気で、皆、おばあちゃんを注視しています。葬儀社の人が五回くらい勧めてようやくおばあちゃんは座りました。そして、廊下に溢れていた会葬者がようやく座ることができました。

 

おばあちゃんはおそらく明治生まれで、当然のマナーを守ったのでしょうが、そのために座れなくて待っている人も大勢いました。皆が着席しなければ葬儀開始が遅れるので葬儀社の人も困ったことでしょう。

 

おばあちゃんの時代には、皆が5回ずつ遠慮しながら、ゆったりと時間が流れたのでしょうが、スピードの速い現代では、葬儀社も会葬者も、ちょっと困ったのでした。

 

そういえば、江戸時代から明治にかけて、日本人は時間に大らかで、約束の時間に現れず、困った西洋人から苦情を言われ、時間を守るようになったと、何かで読んだことがあります。

 

時間といえば、台北駐在員のとき、知人の結婚式に呼ばれ、定刻より早めに行ったのですが、会場には誰もいませんでした。1時間くらい経ってから、ボチボチ集まり始め、宴会が始まったのはさらにそれより後でした。それが台湾の習慣なのだそうです。

 

一昔まえに、「沖縄時間」というものがあり、1時間は遅れる、というものでしたが、今はどうでしょうか。名護という町で、あるお宅に食事に呼ばれ、ご主人に、帰りのバスの予約をしたいというと、30分ごとにいくらでもバスはある、といわれ、食事が終わり、バス・ターミナルに行ったら、「今日のバスは終わりました」といわれ、結局ご主人に那覇の飛行場までクルマで送ってもらいました。

 

しかし、外国に行けば、日本が世界で一番、時間を守る国であることがわかります。

 

都合により、明日2日の分まで、以下に掲載します。

 

「Ono」

ワイキキに、日系人家族がやっているハワイ料理店があります。「Ono」

(オノ)という名で、ハワイ語で「美味しい」という意味です。いつも、地元の人や観光客で混んでいました。

 

僕たちも、行くのが楽しみでした。「コンビネーション・プレート」を1人前注文し、カミサンと2人で分け、それでも余った分は持ち帰ります。

 

プレートに乗っているのは、タロイモの葉に包んだ豚肉(ラウラウ)、細く裂いた豚肉(カルア・ピッグ)、ビーフ・ジャーキー、サーモン・トマト、玉ねぎ、タロイモのペースト(ポイ)です。

 

あるとき、隣の席にいた日本人の若いカップルが、ほとんど食べ残して出ていきました。ネットか旅行誌の評判でこの店に来たのでしょうが、お口に合わなかったとみえます。

 

僕は、非常に不愉快でした。

 

これは教養の問題です。こんなに美味しいハワイ料理の味が分からないなら、店に入るな、ハワイにくるな、と言いたかったです。

 

日本を訪れる外国人でも、教養のある人ほど、日本料理を楽しみます。納豆が食べられない人を責めませんが、いつも食べている自分の国の料理と違うものを食べるのが、海外旅行の楽しみの筈です。

 

さて話をハワイ料理に戻しますが、豚肉を包んでいるタロイモの葉は、長時間かけて、クタクタに煮てあり、お箸で自由に切り取れるほど柔らかいです。タロイモのペーストはハワイ語で「ポイ」といい、タロイモをすりおろしたもので、紫色で少し酸味があります。慣れると美味しく、うちのカミサンは、毎日三食たべても飽きないと言います。

 

ところが時代の流れでしょうか、この「Ono」が、昨年(2019年)閉店しました。経営する家族が高齢になり、店は老朽化、お客さんも以前ほどは集まらなくなったのでしょう。仕方ありません、アラモアナ・センターのハワイ料理を食べます。

 

ホノルルでは、日本料理が大人気です。アラモアナ・センターに新しい2つのフード・コートがオープンしましたが、いずれも和食で、店がずらりと並んでいます。和食は、とにかく種類が多くて、美味しくて、高くなく、清潔なので、大人気です。世界的のようです。

おしん

僕が「おしん」を観たのは、台湾の台北に駐在していたときでした。

 町のビデオ屋が、日本で録画したVHSテープを、すぐ飛行機で持ち帰り、

何本かコピーし、貸し出すのですが、いつも2週間の順番待ちでした。

 

最近、テレビで「おしん」の再放送をしているようですが、おしんの幼い頃は、かわいそうで観ていられません。

 

強く印象に残っているのは、おしんが伊勢に越してきたときの場面です。気候温暖で、魚がたくさん獲れるところです。早朝、浜辺で、新参者のおしんが、次々と魚を競り落とし、独り占めしてゆく、すごい迫力でした。

 

そして町まで、片道6キロの道のりを、車を押して行商し、売りさばく。商才と根性が本領発揮です。重労働でしたが、あの、雪に埋もれた寒村で、寒さに凍えながら、食うや食わずの生活をしていたときに比べれば、天と地ほどの差です。

 

古民家を見かけると、「おしん」を思い出します。

 

おしんが起点となったスーパー「たのくら」は、1982年に16店舗にまで広がりましたが、17店目のオープン当日、おしんは行方不明になります。

「たのくら」を離れ、寒村に戻ろうとしたのです。

 

今の人生は、自分が追い求めたものではない、と思いながら。

 

おしん」はアジア諸国をはじめ、世界68カ国で放映されたそうです。苦労と苦難の連続でしたが、挫けず、激動の世を生き抜くおしんの姿が、世界の人々の共感を呼んだのでしょう。

 

おしん」はまた、日本社会の歴史、世相の変化を知る助けになります。戦前の寒村の貧しさを極めた生活、町の生活振り、戦争、戦後の新しい世の中、など参考になります。寒村では、貧しさゆえに、子供を売るも同然の「奉公」に出す、娘を花街に売ったり、流産という「間引き」をする、「姥捨て」もあったでしょう。

 

昔、シンガポールに出張したとき、当時の「ヤオハン」は有名でした。経営者の和田一夫氏の母「カツ」さんは、かつて「八百半商店」を営み、「おしん」のモデルとして知られています。