maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

不思議な体験

最近、人生で3回目の不思議な体験をしました。

 

その3回は、いずれも、「徹夜」に関係しています。

 

1回目は、大学3年のときです。慶應大学の「三田祭」にゼミナールの研究発表をするのは、3年生の仕事です。三田祭は11月で、夏休みも終わり、さて、テーマを決めよう、から始まったのですが、週1回のゼミでは、何も進みません。

 

結局、三田祭の直前、学校近くの寺に部屋を借り、1週間、十数名が泊まり込んで、発表の準備をしました。女子学生2人は、家から通いです。泊まり込んだ十数名の内、1週間、一睡もせず、完全に徹夜したのは、僕を含む5名ほどでした。何かのエネルギーをもらったのでしょうか、眠くありませんでした。

 

途中まで徹夜組にいたO君は、精神異常になり、帰宅しました。

 

三田祭の当日、壁のパネルに、研究の成果を貼りつけるのが終わる頃、部屋にお客様が入ってきました。まさに、間一髪、間に合いました。

 

第2回目は、会社時代、30代後半でしたが、大きな契約の担当となり、3ヶ月間、毎日、ほぼ徹夜で仕事しました。鎌倉に住んでいたので、毎晩、終電まで仕事し、3時頃寝て、朝8時30分頃の電車で、丸の内の会社に出勤しました。週末も、1日は、出社しました。会社に泊まり込んだことも2回ほどありました。

 

通勤時は、眠くて、夢遊病者のようでしたが、会社に入るとシャキッとし、終電の時間まで仕事をしました。上司も、それを分かっていて、何でも僕の言うことをきいてくれました。何か大きな力で背中を押されているようで、疲れてはいても、つらくありませんでした。

 

その3ヶ月間は、残業代のほうが本給よりも多かったです。

 

さて、3回目が最近です。今年、2020年、2月20日頃に、「エッセイを書こう」と閃き、文体も、エッセイ集のタイトルも、目次も、すべて即決、書き始めました。A4サイズ1頁に、1話のエッセイです。

 

急に、何かに背中を押され、走り出した感じです。

 

エッセイ集のタイトルは「幻のショート・スピーチ集」です。それで、このブログもその名前にしました。エッセイは、短く、スピーチ形式で、しかも、実際には存在しないスピーチなので、「幻」のショート・スピーチ集なわけです。

 

丁度、世の中は、コロナ・ショックで、STAY HOMEです。僕は、まさにSTAY HOMEし、昼も夜もエッセイを書きました。何か大きな力に背中を押され、寝る間もなく、書き続けました。寝るのは、明け方、1〜1.5時間、午後、昼寝を1〜1.5時間、という程度でした。

 

目は眠かったですが、精神は起きており、つらくありませんでした。

 

3月1日に第1集・31話を脱稿、市販の製本機を使い、自分で簡易製本し、恩師や従兄弟、知人、友人にプレゼントしました。3月13日に第2集・31話を完成、4月2日に第3集・31話、4月10日に第4集・31話、4月27日に第5集・31話を完成し、数名の方にプレゼントしました。

 

自分で書いていて楽しく、また読んだ方から、読みやすい、面白い、共通の経験があった、一気に読んだ、などの評価をいただきましたので、出版する気になりました。これがゴールデン・ウィークの直前です。

 

出版については、何一つ知識や経験がありませんでした。初めから商業出版するのは、無理とわかりました。すると、自費出版ですが、最初に軽く50万円くらいはかかりそうで、しかも一定期間後に売れ残った分は、自分が引き取る、など、著者には不利な条件です。

 

他に安い方法はないものかと、ネットで調べ、試行錯誤しながら、やっと、「数万円」で出版できる出版方法と出版社がみつかり、あとは、表紙のレイアウトをプロに依頼して、その費用を払えば、早ければ6月に第1巻が出ます。

 

第1巻:スピーチ集の第1集と第2集で構成。

第2巻:同、第3集と第4集で構成。

第3巻:同、第5集と第6集で構成。

 

その代わり、安く出版するためには、製本用に、原稿を整えるテクニックが必要です。苦労しましたが、A4用紙を横向きにして、実際の本の見開きのように、右の頁に縦書きで1頁、左の頁にも1頁、というレイアウトができるようになりました。これができるまでに2〜3日徹夜しました。しかし、本を出版できると思うとうれしくて、つらくありませんでした。ただし、この面倒な入稿作業も、自動でやってくれる出版社がみつかり、最終的に、そこから出版することになりました。

 

本は、アマゾンから販売されます。紙の本です。注文後、早ければ3日程度で、皆さんのお手元に届くはずです。在庫がなくなることも、売れ残ることも、絶版になることもありません。注文を受けた都度、印刷する方式です。1冊でも。

 

ということで、出版のメドが付き、今日、2020年5月10日、3ヶ月ぶりに「人間」に戻ることを許され、1日中マッタリしています。マッタリしながら、幸せな、不思議な気持ちで、この稿を書いています。

 

出版用の原稿は第3巻の半分まで、出来ているので、コロナに感染しなければ、年内に出版できる見込です。

 

人生の終盤で、こういう日が来るとは、思ってもみませんでした。エッセイにも書きましたが、人生には、不思議なことが起こるものだと、感心しています。ある日、突然、「カチーン」とスウィッチが入ってしまい、あとはもう「夢中状態」で、自分でも何をやっているのかわかりませんでした。

 

自分には、お金を遺すことは出来そうもないので、何か、書いたものでも遺すか、と思ったのが5年ほど前です。それから、少しずつ書きためてきたのですが、全体のテーマも、文体も、構成、タイトルもはっきりせず、宙ぶらりんでしたが、それが2月20日に、すべて一度に即決しました。

 

テーマはいくつかありますが、そのうちの1つは、過去・現在、日本という国と日本人が、世界との比較で、いかに素晴らしい存在であるか、をぜひ皆さんに知ってもらいたいと思いました。海外生活を経験すると、ほとんどの人は、日本・日本人がいかに素晴らしいか、分かります。

 

書いたものをプレゼントすると、相手から素晴らしい反応があります。たまたま、僕が俳句に関したことを書いエッセイをプレゼントしたら、「僕が、同じ季語を使い、かつて城ヶ島で読んだ俳句です」と、関連する自作の俳句を書き送ってくれた友人がいます。こういう交流もあるのかと、感動しました。その友人とは、何回も居酒屋で2人で飲んだ仲ですが、俳句のことなど、1回も話題になったことはありません。

 

年賀状だけの友人からも、エッセイをプレゼントしたら、長い、興味深い手紙をもらいました。そして、彼の作品である、色鉛筆による花の絵まで、添えてありました。

 

書く交流は、素晴らしい。どうりで、作家同士が何十、何百通の手紙をやりとりするわけです。