maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

戦争の思い出

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僕は、太平洋戦争の最中に生まれました。

  ほんの少し、戦中と終戦直後の思い出があります。

ある夕、家族と茶の間で、ちゃぶ台を囲み、夕飯を食べていました。

  すると、外で急にサイレンが鳴り始め、父がすぐ立ち上がり、

電灯の笠に黒い布をかけ、すごく暗くなりました。

  米軍の爆撃機飛来を知らせる空襲警報で、灯火管制です。

家の納戸には、家族全員の「防空頭巾」が備えてありました。

  防空頭巾は、雪国の「かまくら」の横に立っている子供が

かぶっている、あの三角形に尖ったかぶりものに似ています。

  僕が生まれた鎌倉の家の近く、妙本寺の境内には、アメリカの

飛行機を撃ち落とすための、大きな高射砲がありました。

  戦争が終わると、鎌倉駅の改札口で、アメリカの兵隊さんが、

僕の頭と襟首に、白い粉をシュッシュッとかけました。

  シラミを退治するための、「DDT」という殺虫剤です。

現在では、人体に有害なことがわかり、使用されていません。

  コッペパンの配給をもらうため由比ヶ浜通りの米屋さんに行き、

行列に並びました。

  京浜急行のバスは「木炭バス」でした。当時は銀色で、

車体の後ろに積んだ「釜」で木炭を燃やし、煙を上げながら走りました。

  ラジオでは、フィリピンの「モンテンルパ」収容所から帰還する

兵隊の名前を、延々と読み上げていました。

  鶴岡八幡宮では、傷病兵が、道ばたに座り、物乞いをしていました。

万歳で送られて戦争に行ったのに・・・戦争は残酷です。

                             了