maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

2020-04-10から1日間の記事一覧

変な通訳

シドニー・オペラハウス 1973年、僕が豪州のシドニー駐在員のとき、米国人と、豪州人の間に 入って、「変な通訳」をしたことがあります。 シドニーに、米国から1人の老紳士が来訪しました。米国支店から、アテンドを頼まれていたお客様です。 その米国…

ハードルを下げる

ハードルを下げる ポール・ラッシュ 1897 - 1979 ある方の娘さんは、プロのギタリストで、彼女は毎日8時間ギターを練習します。 1日でも練習を休むと、少し腕が鈍り、お父さんにはそれが分かるそうです。 どの世界でも、人一倍努力した人が成功するようで…

変化球と日本人

日本人は、野球に例えると、変化球を打つのが苦手ですね。 大阪支社に勤務した頃、僕は兵庫県の宝塚近く、逆瀬川に住んでいました。 阪急電車で南下し、西宮に行き、乗り換えて、梅田(大阪)に通っていました。 ある日、西宮―梅田間が、事故で不通になった…

バスから降りよ

1961年のアメリカは、まさにアメリカン・ドリームに満ちた、良き時代でした。 前年の大統領選に勝った、43歳のジョン・F・ケネディは世界の希望でした。 「世界の皆さん、米国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。 我々が人類の自由のた…

パットの名人

ゴルフの話です。 僕は台湾の台北に駐在していたとき、パットの名人になったことがあります。 ある日、支店長たちとラウンドしていた僕は、パットが面白いように入り、 アウトの9ホールを39、合計18ホールを82で回り、皆を驚かせました。。 好パット…

戦争の思い出

僕は、太平洋戦争の最中に生まれました。 ほんの少し、戦中と終戦直後の思い出があります。 ある夕、家族と茶の間で、ちゃぶ台を囲み、夕飯を食べていました。 すると、外で急にサイレンが鳴り始め、父がすぐ立ち上がり、 電灯の笠に黒い布をかけ、すごく暗…

ジョン万次郎を訪ねて

ジョン万次郎を訪ねて、高知県の足摺岬まで行ってきました。 万次郎の生家は、足摺岬のすぐ近く、中ノ浜にあり、6畳間に台所がついただけの、小さな家でした。 そこから5キロほど離れた、土佐清水港には、立派な万次郎資料館があり、万次郎が書いたアルフ…