maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

階段を這う

みんな、階段を這って、上り下りしました。

 あまりに脚が痛くて、そうする他なかったのです。

 中学生のとき、バスケット部の合宿でのことです。初日から厳しい練習で、当時一般的だったウサギ跳びをたくさんした結果、3日目に、僕たちは脚が痛くて、階段を歩いて上がり下り出来なくなり、這いました。

 鎌倉の中学校、横浜国大附属中学で、僕たちバスケ部は、屋外コートで練習していました。そこで、夏休みに、横須賀の馬堀中学を借りて、1週間の合宿をしたのです。引率とコーチングは、数学のO先生でした。

 馬堀中学から30分ほどランニングして、I中学に行き、体育館を借りて、練習しました。メニューは覚えていませんが、午前と午後、走り込み・ウサギ跳び・バスケの練習をしました。

 そして3日目になると、部員全員、脚の筋肉痛で、這って階段を上り下りする羽目になりました。みっともなかったですが、他に方法がありませんでした。

布団は2階の教室にしきました。食事は1階の食堂で、部員のお母さんたちが毎日鎌倉から通い、給食室で作ってくれたご飯を食べました。電車やバスを乗り継いで食材を運び込み、大変だったろうと、今更、感謝です。

 この合宿は1957年のことです。当時の馬堀海岸は、海水浴場になっており、夜散歩すると、波が寄せるたびに無数の夜光虫が光って、それは美しかったです。今では、海岸線に沿って近代的な道路ができ、海水浴場はなくなりました。

 数年前、馬堀中学を訪ねると、当時の木造校舎はすでになく、ありし日の合宿の名残は、校門だけでした。たくさんの人が経験するように、思い出の場所に行けば、すでにその面影は傷ついており、落胆することが多いです。しかし自分の記憶の中にある、「宝物」が傷ついたり、なくなったりしなければ、それでいいのだと思います。

 校門の写真を撮り、福島県の三春町で余生を送っておられたO先生にお送りしたところ、とても懐かしんで頂きました。先生にとっても、特別の思い出だったようです。