maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

ボンボンの逆転

船場吉兆」という店の名を覚えておられますか?

 

大阪の有名料亭「船場吉兆」が、客を裏切り、破綻した事件です。

 

その船場吉兆のボンボンが、どん底から這い上がり、北新地に店を出した、という逆転物語が、2020年、テレビで放映されました。

 

2007年、老舗「船場吉兆」は、「賞味期限の偽装」「食材の産地偽装」「残り物の使い回し」が発覚し、消えました。母親と並んで記者会見したボンボンの姿が話題になりました。

 

それから13年、改心したボンボン、「湯木尚二」が、大阪の一等地、北新地に「湯木」という小さな店を出しました。続いて「新店」も出したようです。

 

この13年間の苦労により、湯木は別人のように成長し、料理の真髄である「心」を学び、お客様一人ひとりに真心のこもった料理を出して、どうやら復活したようです。

 

といっても、湯木尚二はまだ51歳、これからどうなるか、注目です。

 

1995年、湯木は26歳頃で、「船場吉兆」の店長になり、新たにオープンした「博多店」の店長も兼ねました。「偉く」なるにつれ、交際は広がり、あまり店に顔を出さなくなりました。

 

絶頂期の湯木は、2000年の「九州沖縄サミット」では、蔵相会議の料理を担当、称賛を浴びました。湯木がますます「天狗」になったのは、想像できます。

 

そして、2007年に食材の使い回しなどが発覚し、すべてを失います。湯木は1ルームのアパートに住み、アルバイト生活が続きます。

 

そこへ、知り合いの不動産屋から頼まれ、空いていた、6席だけの小さな店舗で、料理を出し始めます。心のこもった料理で、店は繁盛します。それから、常連客の紹介で一等地、北新地にもっと広い、「湯木本店」を出します。

 

1930年に店を始めた祖父、湯木貞一の「おもてなしの心」を肝に銘じ、心のこもった料理を出す湯木尚二。苦労、孤独、嫌がらせ、を乗り越え、復活しました。

 

湯木の転落と復活のキーワードをみてみましょう。