「名誉回復」のキーワード
「人道のため」
杉原千畝は、外交官として活躍することが夢でした。
それは、立身出世のためではなく、「日本」のために力を尽くしたい、という気持ちでした。
「情報」は、外交官の仕事の重要な部分ですが、この点、杉原は非常に優秀で、戦時下のヨーロッパから正確な情報を本国に送り続けました。あまりに優秀だったので、ソ連からは警戒され、マークされました。
ナチスにつかまれば、命を失う運命にあるユダヤ人を救うかどうか、1人の人間としてどうすべきか、と同時に「日本」という「国家」としてどうすべきか、大いに悩んだと思います。
杉原は個人の信念と、そして日本は人道主義の国であるという信念から、ユダヤ人を救う決断をします。奥様も賛成してくれました。
その瞬間から、杉原は強い「力」に背中を押され、転任のために乗る列車が動き出すまで、夢中でビザを書き続けました。
自分の信念のため、そして、人道国家日本の名誉のために、大きな仕事をしました。
「永遠の幸せ」
戦争が終わり、1948年に帰国した杉原は、外務省に行きますが、「君の席はない」と言われ、仕方なく辞表を出します。ビザの発行が外務省の逆鱗に触れたのです。
その後、杉原は、得意のロシア語を生かし、貿易商社のモスクワ駐在員など、職を転々とし、地味な生涯を送ります。
しかし、イスラエルやリトアニアにとり、杉原はかけがえのない「恩人」「英雄」です。イスラエルには杉原の墓があり、毎年、杉原の命日には大勢のユダヤ人が墓参りをします。リトアニアのカウナスには杉原資料館があり、またカウナス駅には、杉原の記念プレートがあります。
内外で年々、杉原の偉大さに関する認識が高まっているようです。日本でも、ようやく名誉が回復されました。杉原には、「永遠の幸せ」が与えられました。