maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

スーパー・ボランティア(続)

尾畠さんは、貧しい家に育ち、中学卒業と同時に、姉の勧めにより、魚屋で働き始めました。

 

小学校5年のときに母親が亡くなり、母親がわりの姉が、「声の大きい春夫は魚屋に向いている」といって店に紹介したのです。

 

そのとき尾畠さんは、10年後に1人前の魚屋になり、自分の店を開業しようと決意します。

 

そして、大分県・別府の魚屋で3年間修行したあと、人の勧めで、ふぐ料理の修行をすることにし、山口県の下関にいきます。そして、3年後にふぐ調理師の免許をとります。それから、神戸に行き、4年間、大きな魚屋で働きながら、独立のための準備をします。

 

こうして、神戸での修行を終わり、中学卒業から10年がたちました。そしていよいよ、計画どおり、魚屋を開業し、成功します。

 

一方、「50年間」働いたあとは、何か自分の好きなことをしたい、という夢がありました。

 

そして、65歳になったとき、四国八十八カ所のお遍路にでかけます。途中、沿道に住む人々から「お接待」を受け、感動します。お接待とは、お遍路さんに食事や寝る場所を無料で提供することです。

 

尾畠さんがお礼しようとしますが、受け取りません。お接待は「恩に着せない、恩に着ない」ことだと言われます。

 

このボランティア精神に感動した尾畠さんは、65歳にして魚屋を閉め、ボランティア生活に入ります。

 

奥さんは5年前に「旅に出る」と言って家を出たまま帰ってきません。成人した息子と娘は独立し、孫が5人います。

 

魚屋をしながらでも、ボランティアはできる筈です。そうすれば奥さんとも幸せな生活ができるのに、尾畠さんはそうしませんでした。

 

なぜなのか、これから尾畠さんの幸せの「キーワード」を見ていくと、わかると思います。