maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

偉い人はわかりやすい

僕は、司馬遼太郎の文章は、良く理解できるけれど、三島由紀夫の文章は、難しすぎて、すぐ、理解できない部分にぶつかります。

 

三島の「金閣寺」を少し読んだところ、三島は、たとえば、あるシーンを、詳しく「描写」します。しかし、その描写に使われる単語が難しすぎて、理解できません。

 

したがい、多分、これからも三島由紀夫の本よりも、司馬遼太郎の本を読むことになると思います。

 

今僕は、エッセイを毎日1本は書いています。文章は、誰のスタイルを真似るということもなく、まったく自分の好きなスタイルで書いています。第一、他人の文章を真似するほど、本を読んでいません。

 

僕は、簡単な日本語で文章を書きます。難しい単語は知らないし、持って回った言い方は好まないです。ストレートで、流れるような文章がいいです。

 

そのためでしょうか、僕のエッセイを読んだ人は、読みやすかった、一気に読んだ、と評価してくれています。

 

難しい言葉は使いませんが、物事をよく考えて、ことの本質をずばりとつくように書きます。それも、やさしい言葉で、読んだ人がわかるように。

 

講演で、優れた人の話は、よくわかります。やさしい言葉で、やさしく話すので、よくわかります。難しいことも、やさしく、わかりやすく話してくれます。だからわかります。

 

ところが、あまり優れていない人の話は、逆です。理解できません。内容がないから、持って回って、難しいことばを使い、内容が貧弱であることを隠そうとします。自分を偉くみせるために、難解なことばを使う人もいます。1時間も、そんな人の話を聞いたことがありますが、ひどく苦痛でした。