maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

スライド映写会

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河口湖からの富士 2021年1月30日


 

1961年、高校3年生の僕が、アメリカの留学先で、先生たちと同級生に、スライドで日本を紹介した夕べの話です。

 

ここ、全寮制男子校、グロトン・スクールは、キャンパスの外に、広大な森と湖を有しており、その中に結婚している先生たちの家が、点在しています。

 

独身の男性教師たちは、キャンパスの寄宿舎に居住区を持ち、生徒たちを監督する「舎監」です。僕たちの舎監は、ゲティというでっぷりした、ギリシャ語の先生で、あだ名は、「スパゲティ」でした。

 

さて、夕食後、校長の居住区に、たくさんの先生方が集まり、校長夫人をはじめ、奥様たちもたくさん見えています。同級生も揃っています。

 

日本を紹介するという晴れ舞台、僕は張り切って、コダックのプロジェクターに、スライドを入れて、1枚ずつ、説明を始めました。鎌倉の大仏や鶴岡八幡宮、京都の金閣寺など、順調に進みました。そして、相撲の「本場所」取り組みを映した瞬間、奥様たちの間からすごい「ブーイング」がおきました。” Oh, nooooo !”みたいな感じです。男の先生たちは大笑いです。僕は、そうか、お尻がほとんど「丸出し」だ、と気がつきましたが、日本の「国技」ですから、仕方ありません。

 

そんなことで、スライド・ショウを終わりましたが、あとで、これが「エイジのオール・ナイト・ショウ」として学校で有名になっていることがわかりました。そんなに長時間だったかなと、今でも納得がいきません。20枚足らずのスライドを映しただけなのに。

 

キャンパスに住んでいた、既婚の先生もいます。P先生は、聖書とピアノを教えていましたが、夫婦げんかがすごいのです。夜、広いキャンパスの端から端まで聞こえるような、すごい声でした。聖歌隊の監督をしていて、高い声でした。

 

先生たちも、娯楽が少なく、可哀相でした。2〜3年で辞めていく先生と、一生をここで過ごす先生とに、はっきり分かれていたようです。