maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

1964東京オリンピック

1964年の東京オリンピックには、通訳として参加しました。

 大学1年のとき、組織委員会による英語の試験を受け、ローデシア・チーム付の通訳をしました。僕は、黒地に白の縁取りをしたブレザーに、グレーのズボン、ネクタイもお揃いで、良い気分でした。

 通訳につきたい国を選んで良いというので、スエーデンを希望しましたが、チームが来日する時期が、学校の中間試験と重なるので、あきらめ、ローデシア・チームにつくことになりました。

 ローデシア・チームが、どの種目にエントリーしていたのか、覚えていませんが、マラソンの黒人選手が2人いました。かわいそうに、ランニング・シューズは買ってもらえず、裸足で走りました。

 開会式入場パスがチームで1枚余ったので、僕にくれたのですが、会場に行くと、ローデシア・チームの人でなければ入れないといいます。チーム・コーチが僕もチームの一員だと係員を説得し、ようやく入れました。

 選手村は、代々木のワシントン・ハイツ(米軍住宅)跡だったと思います。大会も終わりに近づいたころ、たまたま僕が、宿舎に泊まっていると、夜中の2時頃に日本人女性から電話がありました。〇〇国の△△さんを電話に出してくれ、というのです。こちらローデシア・チームで、そんな人はいません、と何回言っても、何としても出してくれと、電話の向こうで泣き叫んでいます。

 何が起きたかは、想像できます。競技を終えたどこかの男子選手が、日本人の女の子をひっかけ、遊んで、またデートしようとか、適当なことを言って、嘘の電話番号を教えたのです。女の子は必死です。しかし、どうすることもできません。遊んでおいて、悪い奴です。また、ひっかかる女の子も甘すぎます。

 戦争に負けて僅か19年、国立競技場、新幹線、首都高速、オリンピック、日本は良くやったと思います。