maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

父来る(1)

 

僕が高校3年生のとき1年間寄宿した、全寮制のグロトン校へ、父が卒業式に参列するため、訪ねて来ます。それを前に、日本に書いた手紙の一部です。

 「1962年6月5日(火) (注:ボストン北部・グロトン・スクールにて)

親父は多分ニューヨークから電話をくれると期待しています。多少予定が遅れたようですが、まあ卒業式に間に合うんだから、文句ありません。

 今日は『歴史』の時間に論文を返してもらい、おどろいたことには『A』をもらい、クラスで一番とのことでした。やっと本懐をとげました、というところ、いい気分です。

 『英語』はまだ返してもらっていませんが、先生が良くできたと言っていたから、余り悪くはないでしょう。『哲学』は Honors(優)で85点。学科も多少安定してきたところで卒業というわけです。

 もっとも、3つも論文を続けてタイプしたときはノイローゼ気味でした。あとは期末を合格するつもりです。明日はすでに「化学」と「哲学」があります。

 おっと今日はもう6月11日になってしまいました。(注:先日の手紙の続きを書いています。)おやじから8日に電話がかかってきて、一年ぶりに親子が話をしたというところ。ニューヨークのどこにいるのかもきかずに、くだらないことをしゃべって、あっというまに終わりました。

 今日は FORM PICNIC (注:FORM=同期)で近くの私有の美しい湖の辺で、キャンプのような生活をし、先生方が料理したハンバーガーをもりもり食い、コカコーラをがぶ飲みし、2〜3人の先生や生徒を洋服のまま水の中に放り入れたり、パンツの取りっこをしたり、楽しい1日を過ごしたところです。

 明日、トランクとスーツケースを日本通運取り扱いで送ります。ドルは円より大切だと思うので、すべて運賃はそちらに着いたら、円で払ってください。」

 以上の手紙から、帰国前の雰囲気が伝わってきます。良く学び、良く遊び、の寄宿生活もあと僅かです。父がドルを少し持ってきてくれたので、助かりました。

 ドルといえば、当時の公定レートでは、1ドル=360円でした。しかし、1年間アメリカで生活した実感は、1ドル=100円でした。つまり、今と同じだったということです。この公定レートと実勢レートの違いは、日本の戦後経済に大変大きな意味を持ちました。復興・成長のための「レート」といえます。