maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

飛行機

飛行機についての話題は尽きません。

 小学生、中学生のときは、模型飛行機づくりに夢中でした。小学生のときは、長さ30センチくらいの、木製のキットを買ってきて、ヤスリで丸く削りました。それから、塗装し、風防をつけ、車輪をつければ完成です。零戦や、かっこいいアメリカのジェット戦闘機をつくり、机の上に置いて眺めていました。

 中学生になると、翼の幅が60センチくらいの軽い機体に、エンジンをつけて飛ばしました。鎌倉・由比ヶ浜の「海浜ホテル」跡地で。

 飛行機に初めて乗ったのは、1961年です。高校3年で留学する時、羽田からホノルル経由、ロス・アンジェルスまで、20時間かけて飛びました。4発のプロペラ機、ロッキードコンステレーションです。

 飛行機に乗るなんて、夢のようでした。僕は、公費留学生だったので、無料でしたが、当時のアメリカへの航空賃は100万円くらいしたようです。

 長い間、日本では、国際線といえば「日本航空」(JAL)でした。1983年頃、台湾で機材にまつわる騒動がありました。当時JALは、台湾線に「DC8」を使っていました。僕も何度も乗りましたが、旧い機体で、座席がせまく、エンジン音がうるさかったです。

 一方、JALは他の路線には、すでに新鋭機を使っていました。これを知った台湾の市民が怒って、台湾線も新鋭機に変えろとJALに抗議し、大騒ぎになったのです。外交ルートでも問題になったかもしれません。JALは台湾側の要求を受け入れ、新鋭機を投入しました。

 1990年頃、取引先の社長さんと2人でアメリカに出張したときのことです。確か、南部で、国内線にチェックインし、搭乗すると、機内はガラガラです。しかし僕たちの席だけ、一番後のほうで、エンジン音がうるさい席です。数人の白人が前の方の席に座っていました。あれは、完全に人種差別です。チェックインしたときの担当者が白人主義者だったのでしょう。

 1975年頃、僕がオーストラリアに駐在していたとき、日本から親戚が来て、一緒にリゾート地、ヘロン島にヘリコプターで飛んだのですが、乗りこむ前に、全員が体重を申告しなければならず、女性たちは悲鳴をあげていました。

飛行機については、話しだすとキリがありませんので、この辺で。