maboroshispeechのブログ

スピーチ形式のエッセイ

これなら分かる

  山浦玄嗣(はるつぐ)という人がいます。東北大学出身の医師です。そして、カトリックの信者です。いろいろすごい方で、まず、たくさんの本を書いています。

 

   ・「ケセン語入門」 (共和印刷企画センター)

   ・「ケセンの詩(うた)」 (共和印刷企画センター)

   ・「ヒタカミ黄金伝説」 (共和印刷企画センター)

   ・「みんなのケセン語」 (共和印刷企画センター)

   ・「ふるさとのイエス」 (イー・ピックス)

   ・「走れ、イエス」 (イー・ピックス)

   ・「父さんの宝物」 (イー・ピックス)

   ・「イラムトゥイパ」 (イー・ピックス)

   ・「ケセン語新約聖書」 (イー・ピックス)

   ・「ケセン語大辞典」 (無明舎出版

   ・「ナツェラットの男」 (ぷねうま舎

   ・「ホルケウ英雄伝 この国のいと小さき者」 上下KADOKAWA

 

ケセン語」というのは、山浦先生が生まれ育った東北のケセン地方の方言で、訛りが強いです。「ケセン地方」は「気仙沼」とは別の場所です。

 

ケセンの人たちに、新訳聖書を良く理解してもらうため、山浦先生は方言、「ケセン語」に翻訳しました。新訳聖書はギリシャ語で書かれているので、まずギリシャ語を勉強し、エキスパートになり、それから翻訳したのです。立派ですね。

 

先生は現在、日本のキリスト教会で使われている新約聖書は、ギリシャ語からの翻訳が不正確で「意味がよくわからない」ところがあると指摘されます。ギリシャ語を正しく理解し、「日本人がわかる日本語」に訳すべきだと言われます。

 

聖書:「心の貧しい人々は幸いである。」(マタイ5章3節)

先生:「頼りなぐ、望みなぐ、心細い人ァ幸せだ。(「ふるさとのイエス」P84)

        (これがケセン語訳です)

 

「心の貧しい人」というと、何か、「悪い心の人」のように思ってしまいますが、正しい意味は、先生が書いたように、生活が貧しく、甲斐性もなく、将来への望みもない、社会の一番下でもがいている人たちのことです。山浦先生のお陰で、聖書が前より分かるようになりました。